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等伯との旅

『等伯との旅』 第三十四回【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2020/02/07

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├┼┐『等伯との旅』
│└┼┐ 第34回「松林図屏風」
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 息子の久蔵(きゅうぞう)の死因には不審があった。

 肥前名護屋城の天守の外壁に絵を描いていた時、足場が崩れて墜落死したというが、長谷川等伯はそんなはずはないと思った。

 何事にも慎重で丁寧な仕事をする久蔵が、崩れるような足場を組むはずは絶対にない。そう信じていたが、名古屋城築城の責任者である浅野長政は、本人の過失で皆に迷惑をかけたのだから、長谷川派をこの仕事からはずすと通告してきた。

 

 犯人は狩野派

 

 納得できない等伯は、清子の実家である油屋の探索方に頼んで、事の真相を調べてもらった。すると足場を結んだ綱に切り込みを入れ、崩れるように細工がしてあったことが分かったが、すでに証拠の品は処分され、立証することは出来ないという。

 そこで等伯は、狩野派の高弟である狩野宗光をたずね、真相を白状し、書状に記せと迫った。

 宗光がそんなことは出来ないと拒むと、彼の手を押さえ付け、自分の手ごと鎧通(よろいどお)しで突き刺した。

 常軌を逸した所業に仰天した宗光は、狩野派が久蔵を殺したと認める書状を書いたのだった。

 日経新聞に連載していた時、この展開には批判もあった。

 何しろ狩野派は四百年ちかくにわたって日本画の世界に君臨してきた名門である。今でも永徳や探幽の絵は高く評価され、遺徳(いとく)を偲(しの)ぶ人たちは多い。

 その狩野派が久蔵を殺すような真似をするはずがない。小説とはいえそこまで書くのはいかがなものか。そんな批判が寄せられたのである。

 それでもこんな設定にした理由は前回記した通りだが、さらに付け加えるなら、永徳亡き後、狩野派は日本画の盟主の座を長谷川派に奪われ、存続の危機に直面していたという事情がある。

 それを象徴する出来事が、秀吉が愛児鶴松を供養するために建立した祥雲禅寺(現智積院)の絵を、長谷川派に発注したことだ。

 これまで朝廷と幕府、公武双方の絵を独占的に受注してきた狩野派にとって、これは創業以来最大の危機と言っても過言ではない。

 しかも戦国の世である。敵を殺すことが日常茶飯事だった時代だけに、狩野派が将来を嘱望(しょくぼう)されていた久蔵を潰しにかかることは充分にあると判断したのだった。

 等伯は宗光に書かせた証拠の書状を秀吉に差出し、真相を究明するように求めるが、朝鮮出兵の失敗に苛(いら)立っていた秀吉は激怒し、等伯を捕えて牢(ろう)に入れよと命じた。

 ところがこの場にいた近衛前久(このえさきひさ)が、これほどの絵師を殺すのは惜しいと諫言(かんげん)する。

 「これはしたり。貴公はいたく絵描きの肩を持たれますな」

 秀吉は不服そうだった。

 「豊太閤には見えませぬか。信春(等伯)の底力が」

 「確かにいい絵もあるが、それほどのことは」

 「これまで描いた絵のことやない。これから生まれる絵のことを言うてます」

 一時の怒りに任せてこの者を処刑するのは、金の卵を産むにわとりを殺すようなものだ。

 前久にそう言われ、秀吉はそれなら試してみようではないかと受けて立った。伏見城の完成披露の日までに自分が納得する絵を描いてこいと、等伯に命じたのである。

 

 描けねば打ち首

 

 描けたら罪を許し、久蔵の件についても取り調べる。しかし描けなかったなら打ち首にするという。

 「酒宴の引出にいたす。絵か、絵描きの首をな。皆も楽しみにしておくがよい」

 秀吉はそう宣言し、等伯は命を賭けた絵に挑むことになったのだった。

 「これまで誰も見たことのない絵を描け」

 前久はそう求めた。

 等伯もそのつもりで本法寺の一室を作業場にし、満足のいく絵が描けなければ生きてここを出ないつもりで仕事にかかった。

 画題は久蔵とふるさと七尾で見た朝霧の風景である。牧谿(もっけい)の水墨画を手本に、あの空気感を出そうと筆を取ったが、なかなか思うように描けなかった。

 それでも己をねじ伏せるように描こうとしているうちに、筋肉が強張り神経が引きつって筆を持てなくなった。久蔵の死に打ちのめされた心が、絵に関わることを拒否していたのである。

 絵に執着してきたばかりに、何人もの身内を不幸にした。養父母を自決させ、静子を困窮のはてに死なせ、そして久蔵までも失った。

 そんな手前勝手な生き方をしてきた自分は何と罪深い男だろう。そんな思いに打ちのめされ、絶望の深い穴に落ちたのだった。

 そうして冬になり、春が来て、柳がやわらかい緑の葉をつけるようになった頃、等伯は寺の本堂で日通上人がとなえる読経の声を聞いた。

 等伯は藁(わら)にもすがる思いで朝の勤行(ごんぎょう)に加えてもらった。そしてひたすらお題目をとなえているうちに、法華経の教えの原点に立ち返ることができた。

 本尊曼荼羅(まんだら)の前でお題目をとなえるのは如実知見(にょじつちけん)、ありのままの自分と世界を発見するためである。欲や執着によって曇った知見を、妙法蓮華経に帰依することによって磨き上げると、真の自己、真の世界の在り方に気付く。

 その実相とは、人はどんな立場や境涯にあっても本覚の如来と同じだということであり、それが分れば大宇宙の高みで法を説かれる釈迦如来と多宝如来の虚空会(こくうえ)に加わることができ、やがてすべての仏が自分だということに気付く。

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    北國文華 第78号(2018年12月 冬号)掲載原稿より
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