『等伯との旅』 第三十三回【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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├┼┐『等伯との旅』
│└┼┐ 第33回「亡き妻静子の覚悟」
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そして家族で七尾を離れる時、静子がこんなことを言ったと教えてくれた。
「静子さんはこれから修行の旅に出ると挨拶(あいさつ)された。何があってもそなたを支えると、覚悟を決めておられたのだ」
これも等伯が知らなかったことである。そんな覚悟があったからこそ、あんなに献身的に支えてくれたのかと頭が下がるばかりだった。
七尾を離れる最後の夜、町で一番の老舗(しにせ)の旅館に泊まった。ここの女将と静子が幼馴染(なじ)みなので、特別の計らいをしてもらったのである。
等伯はその時を偲(しの)んでこの宿に泊まった。すると夕方になって、宗高の息子の宗冬が親戚一同を引き連れて挨拶に来た。
宗冬も長谷川家の家業である絵仏師の仕事をつぎ、今では北陸で名を知られる存在になっていた。
「お二人の噂(うわさ)は聞いています。狩野派をしのぐ評価を受けておられるそうじゃないですか」
そこで是非我々にも力を貸していただきたいと、宗冬は二つの頼み事をした。
ひとつは長谷川一門として等の字をいただき、等(とう)誉(よ)と名乗りたいこと。もうひとつは息子の宗宅を弟子にしてもらいたいという。
等伯も久蔵も、長谷川家や七尾の役に立てるならと、快く引き受けたのだった。
翌朝早く、等伯は海にかかる濃密な霧を見た。温かい海水を冷えた空気がおおうので、海から蒸気が立ち昇って霧になっている。
冬の七尾湾ではよく起こる気(け)嵐(あらし)と呼ばれる現象で、等伯が子供の頃から馴れ親しんだものだった。
(ああ、これだ)
自分が描きたいと思っていたのはこの空気感だと、等伯は初めて気付いた。
「これだったのですね。父上が追い求めておられたのは」
いつの間にか久蔵が後ろに立っていた。
「そうだ。牧谿(もっけい)とはちがうだろう」
「ちがいますね。もう少し重く、湿気が肌にしみ込む感じがします」
「幼い頃から見てきた景色だ。それを描けないようでは、まだまだ修行が足りないということだ」
「でも、父上ならいつか描けますよ」
その声にふり返ると、久蔵の姿が靄(もや)にかすんでいる。
等伯はこのまま久蔵がどこかへ行ってしまいそうな不吉な予感にかられた。
翌日から青柏祭が始まった。
昔はそれほど目立つ祭りではなかったが、前田利家に七尾の知行を任されている利家の兄の安勝が、三台の巨大な山車(だし)(デカ山)を巡行させることにしたという。
この頃の七尾は、三つの主要な町によって成り立っていた。古くからの住民が住む魚町、職人が多い鍛冶町、商人が中心となる府中町だが、安勝はそれぞれの町から山車を出させ、共に祭りを楽しむことで領民の融和をはかったのである。
これも小丸山城への移転と同じく、新しい時代が始まったことの象徴だった。
兄の生き様を理解
祭りの会場で等伯は前田安勝の桟敷(さじき)に招かれ、祭りご馳走(っつお)をいただきながら酒を汲(く)み交わした。その時安勝は、等伯の兄の奥村武之丞(たけのじょう)と戦場でまみえたことがあると話してくれた。
安勝は織田勢の先陣として、武之丞は敗走する朝倉勢の殿(しんがり)軍として、近江の刀根坂(とねざか)で戦ったという。
「黒ずくめの鎧(よろい)をまとい、満月の前立ての兜(かぶと)をかぶり、十文字槍(やり)を手に立ちはだかっておられた姿は、語り草になるほど見事でした。今でも手強い戦ぶりが目に浮かびます」
安勝がそう言うのを聞き、等伯は迷惑ばかりかけられた兄の生き様を初めて理解し、心の中で和解することができたのだった。
二人が都に戻ったのは五月一日。
翌日久蔵は清子の段取りに従って見合いをし、結婚の約束をして肥前名護屋城に戻っていった。
狩野派の策謀にはまって殺されたのは、それから間もない六月十五日のことだった。
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北國文華 第77号(2018年9月 秋号)掲載原稿より
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