『ルポ 安部龍太郎の創作世界』~「十三の海鳴り」を歩く~ 第6回
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■ 『ルポ 安部龍太郎の創作世界 』 ~「十三の海鳴り」を歩く~
■ 第6回 「分からないから書く」
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小説家という生き物
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安部龍太郎自身、青森づいているなと思う。
総合月刊誌「サライ」(小学館)の紀行連載「半島をゆく」で、2016年1月号から4回にわたって津軽半島編を書き上げたばかりなのに、早くも今年6月号からは下北半島編に手を染めている。
一方で、若き日の津軽為信の野望に焦点を当てた短編小説「津軽の信長」を「オール讀物」(4月号、文芸春秋)に発表し、そして今年一番力を入れている「十三の海鳴り」である。もともと津軽に愛着を持っていることもあるが、理由はそればかりではない。
「“青森ラブ”の編集者が一生懸命サポートしてくれている、ということもあるんですよ」と、安部は冗談ぽく笑って見せる。
その編集者とは「サライ」副編集長の今井康裕(50)。五所川原市生まれで津軽の地酒にこだわるなど、安部の言葉通り、青森への愛着を行動の随所ににじませる人物だ。
そんな津軽への追い風が吹く中、着想されたのが「十三の海鳴り」だった。来春まで「小説すばる」(集英社)に1年間書き続け、その後単行本にするつもりだが、実は簡単に生み出されたわけではない。
本格的に取材を始めたのは昨年秋のこと。第4回で書いたように“安部版太平記”の第3弾という位置づけだった。「太平記」とは朝廷と武家政権の対立によって日本中が揺れ動いた南北朝時代 (1336~92年)を描いた一大歴史絵巻。安部はこれを自分なりに消化・解釈し、すでに2冊の本にまとめていた。
主人公は、南北朝の争乱の中で後醍醐天皇への忠節を最後まで貫いた「悪党」楠木正成と、やはり天皇の命令によって鎌倉幕府を滅ぼすに至った新田義貞という二大ヒーロー。彼らの次に焦点を定めた“第三の男”が、本州最北端の豪族、安藤氏だったというわけだ。
取材に当たって戸惑いがないわけではなかった。安藤氏については「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)という五所川原に端を発した偽書事件をめぐって負のイメージがつきまとっていた。 だが、資料収集や現地踏査を進めるうちにいけると判断した。 チャレンジしようとも考えた。
そんな安部から筆者の元へメールが届いたのは昨年11月初めのことだ。
「小説のタイトルは『十三の海鳴り』にしようと思っています」
さらに1月には「今度の主人公、安藤新九郎季兼は立佞武多のような男に描きたいと思っています」。
文面には強い決意がにじんでいた。安部は言う。
「分からないから歴史小説を書いているんです。その時代の物語の中に自身を投げ込んで、自分ならどう行動するか考え、それを主人公に投影するんです。ある意味で自己 の“体験”を小説としてまとめているとも言えます。それが小説家という生き物なんです」
作家としてデビューして約30年。還暦を超え62歳になるが、まだまだ書きたいテーマはたくさんある。残る人生の時間との競争だとも思っている。逆算の毎日だ。 しかし手を抜くことだけは決してたくない。
「険しい山だろうが、しけた海だろうが、安部先生が取材で音を上げたところを見たことがありません。資料も自分の手でそろえますし。作家になる前の図書館司書という職業が生きているのかもしれませんね」とは、「十三の海鳴り」を担当する集英社文芸編集部の稲垣ゆかりの言葉。
安部は太宰治の文学碑の前で小説家になることを誓った20歳の日を思い出し、こう自問自答する。
「来し方を思えば、半ばの満足と半ばの後悔がある。あの日からひたすら小説に打ち込んできたが、はたしてどこまで目標に近づくことができただろうか」(「半島をゆく・津軽半島編」)
そしてあの日のように、再び思いを静かに定める。
「さもあればあれ、我らは命の尽きる瞬間まで、一途な志を抱いて歩き続けるのみである」
(敬称略、斉藤光政)
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東奥日報2018年7月19日掲載
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