アンドリュー・ワイエス展<事務所代表 森のfacebookより転載>
※事務所代表 森のfacebookより転載
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先日、アンドリュー・ワイエス展を参観した。
実際に作品を見るのは初めてだった。昔、画集を書店でのぞき記憶に残った画家だったが、そのままになっていた。その名がアメリカの画家でアンドリュー・ワイエスだと改めて知ったのは近年になってだ。是非とも見たかった画家であった。
美術愛住館は、歴史作家でもあり学者、官僚でもあった堺屋 太一氏ゆかりの美術館だと知り驚いている。その会館一周年の記念に今回のアンドリュー・ワイエス展が企画された。
彼の作品に浮かぶのは、寂寥とした空間に流れている今という時間と、かつて人々が往来し騒めいた時間が同時に存在しているのだ。
朽ちてゆく建物の影に微かに人の息遣いがある。だが、その建物の壁に柱に、さらに壊れた窓ガラスのくたびれたカーテンに往時と同じ風が吹いている。
人々の記憶を包み込んで草原の風は、ゆるんだ戸板を叩いている。
初めてニューヨークからワシントン、フィラデルフィアを旅したのは、7月4日の独立記念日の数日前だった。初夏の風が心地よく、ニューヨークの友人に誘われてペンシルバニアのアーミッシュの村を訪ねた。厳しい戒律を守り近代の機器を拒否し、昔の生活を厳重に守り生活する人々の村である。黒い服と白いシャツを纏い、黒塗りの馬車に乗っている。異様な人々に出逢った町並みは、遠い昔の時間へ迷い込んだような異質の空間だった。
麦畑は緑に溢れてはいたが、木々を走り抜ける風の騒めき以外聞こえなかった。
アンドリュー・ワイエスの作品は、若きオルソン家の人々、そして新大陸へわたり来た人々の時の記憶が描かれているように思えてならなかった。
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<スタッフ後記>
物憂げな空間の中に、過去の営みを思い起こさせるような絵ですね。
耳を澄ますと、音が聞こえてきそうです。