西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第39回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第39回 週刊誌に書く
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週刊誌の連載は、よほど実力と実績のある作家でなければ起用されない。
それをデビュー直後の私に任せるというのだから、まるで狐につままれたようだった。
「実はそれを書いていた作家が、十一回まででダウンしちゃってね」
日本史上の事件を年表に従って短編小説にしていくもので、毎週十七枚。
ちがうテーマで小説を書くという難しい仕事だった。
しかし原稿料はデビュー作の三倍で、月四本書けば五十万を軽くこえる。
四年間近く収入がなかった私にとって、夢のような話だった。
「ようがす。お引き受けいたしやしょう」嬉しさのあまり芝居がかった返事をした。
不安な暮らしに耐えてくれた妻のためにも、この仕事だけはやり遂げなければならないと思った。
原稿の締め切りは二週間後と聞き、ホテルに缶詰にしてくれるように頼んだ。
家は狭く子供たちは幼いので、集中して仕事をできる場所がなかった。
池田さんは気前良く、飯田橋のホテルエドモントに部屋をとってくれた。
ホテル内のお店はサインひとつでいくら使っても構わないという。
三日で資料を調べ、二日で書き上げ、一日頭を冷やして七日目に仕上げるという超人的なスケジュールだったが、一年間何とかやり遂げることができたのは、文芸部仲間の森君のお陰である。
彼もちょうどデザイン会社を立ち上げた多忙な時期だったが、毎週喫茶店で会って作品の批評をしてくれた。
それを参考にして、翌日全部を書き直したことが何度かある。
学生時代からの友人だからこそ、私が何を書こうとしているか理解し、欠点を的確に指摘してくれたのだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月6日付
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