MENU

たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第35回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/12/28

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

■ ​ ​第35回 二人の編集者
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


待ち合わせの場所は、新宿の「新政」という居酒屋だった。
私は高級割烹かフレンチレストランだろうと、一張羅のスーツを着ていったが、店は普通の大衆酒場だった。
佐藤さんは私と同年の三十一歳。同行してきた池田さんは十歳年上だった。
このコンビが私の担当になってくれるという。

池田さんは天才肌の編集者で、顔を合わせるなりこう言った。

「新潮社には十年に一度、名編集者が出現するという伝説があります。今の三十代はこの佐藤君、四十代は私です。その二人が担当につくのは、それほどわが社が君を見込んでいるからです」

ホンマかいなと眉に唾をつけたくなったが、そこまで言うならと、
「それではどうして受賞できなかったのですか」
腹をすえて問い返した。

池田さんの答えは明快だった。
「選考委員が悪いからです」

今では時効だからはっきりと書くが、選考はIさんとTさんが担当しておられた。
二人とも独特の作風を持つ人気作家だが、自分たちの文学観にのっとった新人を捜そうとするあまり、正統派の作品は不当に低く評価するというのである。
それを聞いて、この人は信用できると思った。

以来、三人四脚の文学修業が始まった。
まず書き下ろしの長編を出すことになり、ふるさと八女にゆかりの深い後南朝時代をテーマにした作品に取り組むことになった。

一章百枚ずつ書き、二ヵ月に一度くらい会って作品の評価をしてもらう。
ところが会うたびにダメ出しばかりで、何度書き直してもガッカリした顔をされる。
それを一年半ほどくり返し、私はとうとう病気になった。

 

■――――――――――――――――――――――――――――――――■
西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月2日付
■――――――――――――――――――――――――――――――――■