西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第34回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第34回 電話のベルが
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「小説新潮」の新人賞に応募した『降人哀し』も最終候補作に残った。
発表までの二週間、期待と不安に気持ちが頼りなく揺れ、他の仕事が手につかない。
一度は思いあまって編集部に電話し、「応募している安部ですが、ボクの作品は当選できるでしょうか」と問い合わせた。
何とも無様で恥知らずのやり方だが、これで通らなければ作家になることはできないと、なりふり構っていられなかった。
相手は若い編集者で、「そうした問い合わせには答えることができません」と紋切り型の返答をしたが、こちらがあまりに必死なので惻隠の情にかられたのか、次のように付け加えた。
「編集部の中では、安部さんの作品が一番いいと評価されています。」
これを聞いた瞬間、心の中で快哉を叫んだ。
これで作家になれると有頂天になり、退職以来断っていた酒を飲みに町に飛び出した。
生涯のうちでこれほど嬉しかった日はないほどだが、結果は無残にも落選だった。
発表の日、電話の前で知らせを待ち、七時、八時、九時と過ぎていく。帰らぬ主人を待つハチ公よりもまだ哀しい気持ちで、電話の前から動くことができなかった。
さて、これからどうしたらいいのか。
途方にくれて何も手につかなくなった。愛する人と死別した時のような喪失感に打ちのめされたのは、夢はもう死んだと思ったからにちがいない。
ところが四、五日して、面も見たくない電話の野郎がベルを鳴らした。
「新潮社の佐藤と申しますが、一度お目にかかって今後のことをご相談させて下さい」
野太く低いだみ声がそう告げた。
以後今日までつづく佐藤さんとの付き合いが、こうして始まったのだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月27日付
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