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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第49回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2019/04/05

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■ ​ ​第49回 古い壁
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戦国時代は交易、外交、商業、流通の時代であり、日本はシルバーラッシュに沸き、空前の高度経済成長をなし遂げいていた。
その象徴が絢爛豪華な安土桃山文化であり、巨大な城の建築ラッシュである。
こうした活気が日本人に壮大な夢を抱かせ、朝鮮出兵の失敗につながった。

 

江戸幕府は秀吉政権の失敗の反省を踏まえ、戦国時代とは真逆の国家体制を作り上げ、
それを守るために都合のいい史観を国民に押し付けた。
その誤りは明治維新後も正されることなく、今日までつづいている。
それがどれほど間違ったことかを示すために、私は火縄銃を例に上げて話すことが多い。

 

戦国時代は一五四三年の鉄砲伝来によって幕を開け、信長は鉄砲の大量使用によって天下を取ったとは歴史教科書にも記されているが、火薬や鉛弾はどうしたのかという視点がそっくり抜け落ちている。
黒色火薬の原料は木炭、硫黄、硝石だが、硝石は日本では産出しない。
また鉛も国内産では需要に追いつかないので、ほとんど輸入に頼っていた。

 

しかも問題はそればかりではない。
鉄砲の砲身の内側に使う軟鋼や、引金などのカラクリ部分に使う真鍮(銅と亜鉛の合金)を作る技術は当時の日本にはなく、東南アジアからの輸入に頼っていた。
このあたりの事情については、『火縄銃の伝来と技術』(吉川弘文館)に明確に記されている。

 

私もこうした認識を踏まえていくつかの小説を書いたが、残念ながら読者の反応は鈍かった。
古い歴史観が真実だと思い込んでいる多くの方々には、私の作品は異端のように感じられたらしい。

どうしたらこの壁を乗り越えることができるのか。
考え抜いた末に、戦国時代の絵師を描けばいいという結論に至ったのだった。


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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月20日付
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