西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第50回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第50回 今後も精進を
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絵師を主人公にした小説ならば、読者は彼が残した作品と私が書いた小説を比べ、正しいかどうかを判断することができる。
そう考えたのである。
さて誰を書こうかと考えていた時、画家の西のぼるさんが「それなら長谷川等伯を書いて下さい」と勧めて下さった。
等伯とはどんな人だろうと、彼の作品や評伝に触れて、激烈で一途な生き方に胸を打たれた。
能登の七尾から都に出て、数々の苦難を乗り越えて独自の画境にいたる人生にも共感するところが多い。
五年の歳月をかけて入念な取材を終えた頃、日経新聞から連載の依頼を受けた。
長年お世話になった日経文化部の浦田さんが、定年前の最後の仕事として根回しをして下さったのである。
二〇一一年一月、これで駄目なら筆を折る覚悟で連載に取り組んだ直後に、3・11が起こった。
中でも原発事故の被害は深刻で、こんな時に小説を書いていていいのかと自問自答をくり返した。
その果てに、苦難を乗り越えて数々の傑作を残した等伯の姿を描くことで、多くの人々に生きる勇気を持ってもらうことが、自分にできるただひとつのことだと腹を据えた。
この覚悟が作品をより深いものにしてくれたのだろう。
連載中も好評を博し、もう手が届かないと思っていた直木賞をいただくことができた。
それと同じくらい嬉しかったのは、「歴史・時代小説の新しい分野を切り開いた」という理由で、西日本文化賞をいただいたことだ。
古い壁を打ちこわし新しい史観を確立しようとしてきた私の拙い戦いを、ふるさとの方々は温かく見守っていて下さったのである。
これを励みに今後も精進をつづけていくことを誓って、お礼の言葉とさせていただきたい。
(おわり)
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月23日付
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