西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第44回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第44回 新たな挑戦
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織田信長には昔から興味があった。
革新的な施策を次々と打ち出した半面、比叡山の焼き討ちや一向一揆の皆殺しを行う残虐性も持っている。
なぜそんな生き方をしたのか、いつか彼の小説を書いて突き止めたいと思っていた。
そんな時、一冊の本と出会った。立花京子さんの『信長権力と朝廷』(岩田書院)である。信長と朝廷の交渉経過をたんねんに追い、両者の対立を浮き彫りにした画期的な仕事だった。それまで天皇と信長の間に軋轢はなかったというのが一般的な解釈だった。
ところが立花さんは三職推任(関白、太政大臣、将軍のいずれかに任じること)についての信長文書の解読の誤りを正し、両者の間に緊迫したやり取りがあったことを明らかにされた。これを読んで目からウロコが落ちた。
日本史では天皇や公家、寺社は政治とは関係がなかったかのように説くことが多いが、これは大きな誤りである。
公家も寺社も荘園領主や座の本所として大きな経済力を持っていたし、天皇は征夷大将軍をはじめとする官位を武家に与える権限を持っていた。
こうしたことを踏まえて武家と朝廷の関係を正しくとらえなければ、日本史の真実は分からない。ずっとそう思っていたので、立花さんの研究に触発されて本能寺の変に取り組むことにした。
公家側の代表選手は、五摂家筆頭の近衛前久である。
しかし前久と公家社会を理解しないと、信長との対立をリアリティー豊かに描くことはできない。
そこで前久を主人公とした『戦国守礼録』(単行本は『神々に告ぐ』)を書くことにした。
この連載を無事に終え、平成十一年七月から日経新聞紙上で『信長燃ゆ』に挑戦することになったのだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月13日付
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