西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第42回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第42回 サンドバック
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三紙の発行部数は、その頃三百万部を越えていただろう。
原稿料も小説雑誌の三倍ちかい。
この大仕事を前にして、私はひとつの試みに挑戦した。
これまで自分の問題意識を解決するために小説を書いてきたが、今度は読者に楽しんでいただける小説にしようと考えたのである。
参考にしたのは吉川英治の『鳴門秘帖』である。
次に何が起こるか分からないという謎を仕掛け、興味の糸を切ることなく物語が展開していくものにしようと、意欲満々で連載を開始した。
ところがどうもおかしい。
物語を面白くしようとするあまり、作家としての想像力が深いところまで届かないのである。それでもエンターテインメントだからこれでいいかと思いながら書き進めていると、ある日池田さんから電話がかかってきた。
「君はどんなつもりであの小説を書いているんだ」
いきなり強烈なジャブが来て、後はパンチの嵐だった。
あんな小説しか書けないなら、作家などやめてしまえ。
ボクはこんなくだらない仕事をさせるために君を育てたんじゃない。
そこまで言うかとあきれるほどの罵詈雑言。
私はサンドバッグのように打ちまくられ、次の日から小説が書けなくなった。
『関ヶ原連判状』の連載が百回に近くなった頃で、原稿のストックは十日分ほどしかなかった。
つづきが書けないまま一週間が過ぎ、徐々に締め切りが迫ってくる。
あと三日のうちに書かなければ連載は中断だと焦りはつのるが、頭は凍りついたように停止している。
書けないまま三日間徹夜し、今日原稿を出さなければ明日は中断だという日の朝を迎えた。それでも一行も書けず、絶体絶命の窮地に追い込まれた。
このまま中断したなら多くの人に迷惑をかけるし、作家生命も断たれることになる。
それにもう、こんな苦しみから逃げ出したい。
抱えきれない煩悶に押し潰されそうになりながら、明け方の町にさまよい出た。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月11日付
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