西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第41回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第41回 関ヶ原連判状
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日本という国の不思議さは、外圧などの危機が強まるたびに天皇を中心として結束しようとすることだ。大化の改新も建武の新政も、明治維新もそうである。
まるで外敵に襲われた小魚が密集隊形を作って対抗するように、日本人は天皇のもとに結束して危機を乗り切ろうとする。
ところが、その試みの大半は失敗している。
天皇親政の理想は現状の政治体制を打破するエネルギーにはなるが、安定した政治体制を持続する役割は、残念ながらはたすことができなかった。
建武の新政がその代表的な例であり、最後まで南朝の大義(怨念)に殉じようとした人々は、
私の母方の先祖のように山奥に追い詰められて逼塞(ひっそく)せざるを得なくなった。
その原因はどこにあり、どうしたならこの状況を乗り越えることができるのか。
『彷徨える帝』を書くことによって、そうした問題を解決したいと願ったのである。
幸いこの作品は大きな注目を集め、直木賞と山本周五郎賞の候補にしていただいた。
平成六年、三十九歳の時である。
残念ながら両賞とも落選したが、こうした評価が次の仕事につながった。
中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞から、連載してほしいという依頼を受けたのである。
そこで取り組んだのが『関ヶ原連判状』。
関ヶ原合戦の折、古今伝授(こきんでんじゅ)を武器にして天下取りの工作をした細川幽斎を主人公にしたものである。
和歌は朝廷の権威を保つためには不可欠のもので、その奥義は『古今和歌集』解釈の秘伝である古今伝授の中に記されている。
その秘伝を受け継ぐただ一人の男となった幽斎が、天皇家の存在を左右するキーパーソンとして活躍する物語だった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年3月10日付
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