西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第33回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
■ 第33回 時代小説などは・・・
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
役所の文芸誌に『矢口の渡』を発表した時は大変評判が良かった。
図書館長の山本さんは「本当に君がこれを書いたのか」と目をみはり、文章力を買って館報の編集を任せてくれたほどである。
しかし文学によって現実を変えたいと願っていた私は、時代小説などは文学ではないと、大変な思いちがいをしていたので、そうした評価にも自分の作品にもほとんど興味がなかった。しかし、今やそんなことを言っている場合ではない。
藁にもすがる思いで『矢口の渡』を読み返し、衝撃を受けた。面白いのである。
人物との間に時間の距離があるせいか、筆さばきに余裕と遊びがあり、人間の心情が的確に生き生きと描かれている。
これなら何とかなるかもしれないと、いくらか手を入れてエンターテインメント系の「オール読物」に応募した。
すると二千作をこえる作品の中で、最終候補の五作に残ったのである。
これは行けるぞと、受賞第一作を用意して発表を待っていたが、残念ながら受賞することはできなかった。昭和六十二年の三月。ちょうど約束の二年が過ぎた頃だったが、
「もうあと一歩のところまで来ているから」
そう言って家内を拝み倒し、あと一年の延長を認めてもらった。
心機一転、受賞第一作になるはずだった『降人哀し』を、「小説新潮」の新人賞に応募した。
足利方となって義興を裏切り、矢口の渡で罠を仕掛けた竹沢右京亮を主人公にしたものである。彼は手柄によって莫大な恩賞を得たものの、敵ばかりか身方からまで汚い奴とさげすまれ、次第に孤立して自暴自棄になっていく。
そうしてある日ささいなことから同僚と喧嘩し、かなうはずのない相手に斬りかかって返り討ちにあう。その心情を描いたものだった。
■――――――――――――――――――――――――――――――――■
西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月26日付
■――――――――――――――――――――――――――――――――■