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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第32回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/12/07

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■ ​ ​第32回 面白くない
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概要を読み、それなら作品を持っておいでと言ってくれたのは、たった(?)二人だった。一人は毎日新聞社の石倉さん、もう一人は筑摩書房の橋本さんである。

二人とも「このレベルでは本にはできない。プロになりたいのなら新人賞を受賞するのが一番の近道だ」と、まったく同じ意見だった。
そして賞を得た後なら、この作品を世に出すことができるだろうと励ましてくれた。

石倉さんは「俳句α」の編集長、俳名を石寒太といい、今もお付き合いをいただいている。橋本さんとはその後ご縁がなかったが、「週刊新潮」で『日本史血の年表』を連載した時、担当してくれた若者が橋本君だった。

ある時、筑摩に原稿を持ち込んだ話をすると、「それはボクの親父ですよ」という返事が返ってきた。人の縁とは、つくづく不思議なものである。
お二人のアドバイスに従い、二年目は新人賞をめざすことにした。

千分の一の狭き門を突破しようと必死に小説を書きまくり、片っ端から純文学雑誌に応募した。家内と約束した期限はあと一年しかないので、なりふり構っていられなかったが、世の中、そう甘くはない。

「新潮」「文学界」「群像」など、一次予選を通るのがやっとだった。
私はすっかり行き詰まり、もう書けなくなったと、文芸部仲間の森君に泣き言を言った。すると彼は、こう言ってくれた。

「お前の書く現代小説は堅苦しくて面白くない。むしろ前に書いた時代小説の方が生き生きとしていて、読んでいて楽しかった」

前に書いた時代小説とは、新田義興を主人公にした『矢口の渡』という短編だった。足利方にだまされ、鎧をまとったまま多摩川に沈んでいく義興主従の心情を描いたものだった。

 

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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月25日付
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