西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第30回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第30回 一族の夢
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帰国してすぐ、私は辞表を出す決意をした。
賛成してくれたのは図書館長の山本さんだけだった。
公務員をしながら作家をめざし、夢かなわず自費出版の小説集(筆名山本梧朗、代表作「芦名の宴」)を出しただけで定年を迎えようとしていた山本さんは、
「君にそれだけの覚悟があるなら、私も辞めた方がいいと思う」
上司としての立場をこえ、同じ志を持つ者としてアドバイスをしてくれた。
妻はもちろん反対したが、二年間だけ時間をくれと頼みこんだ。
「2年間小説に打ち込み。何の成果も上げられなかったら、新しい仕事につく」
そう約束して譲歩してもらった。
両親も兄弟も反対した。それでも後に引くつもりはなかったが、礼儀だけは尽くしておこうと郷里に報告に行った。
「わりゃ四、五年、東京でゴミ拾いばして歩く覚悟のあるとか」
兄はそう迫った。
「生きときゃ何とかなる。飢れ死なんごとせなんだ」
戦中派の父は優しいことを言ってくれた。
もっとも強硬に反対したのは母だった。
「お前や、家族ばどけんして食べさせていくつもりか」
心配のあまり半狂乱のようになって引き止めたが、私は決心を変えるつもりはなかった。
三日間の滞在の後、折り合いがつけられないまま東京へもどることになったが、母は別れぎわにこう言った。
「実家の橋本家には、いつか才能ある書き手が現れ、山奥に追い詰められて生きてきた一族の歴史を、世に知らしめてくれる日が来るという言い伝えがあった。もしかしたら、お前いがその書き手かもしれんね」
その言葉を聞き、自分がどんな所で育ってきたか、改めて分かった気がした。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月21日付
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