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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第30回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/11/16

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■ ​ ​第30回 一族の夢
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帰国してすぐ、私は辞表を出す決意をした。

賛成してくれたのは図書館長の山本さんだけだった。

公務員をしながら作家をめざし、夢かなわず自費出版の小説集(筆名山本梧朗、代表作「芦名の宴」)を出しただけで定年を迎えようとしていた山本さんは、

「君にそれだけの覚悟があるなら、私も辞めた方がいいと思う」

上司としての立場をこえ、同じ志を持つ者としてアドバイスをしてくれた。

 

妻はもちろん反対したが、二年間だけ時間をくれと頼みこんだ。

「2年間小説に打ち込み。何の成果も上げられなかったら、新しい仕事につく」

そう約束して譲歩してもらった。

両親も兄弟も反対した。それでも後に引くつもりはなかったが、礼儀だけは尽くしておこうと郷里に報告に行った。

「わりゃ四、五年、東京でゴミ拾いばして歩く覚悟のあるとか」

兄はそう迫った。

「生きときゃ何とかなる。飢れ死なんごとせなんだ」

戦中派の父は優しいことを言ってくれた。

もっとも強硬に反対したのは母だった。

「お前や、家族ばどけんして食べさせていくつもりか」

心配のあまり半狂乱のようになって引き止めたが、私は決心を変えるつもりはなかった。

三日間の滞在の後、折り合いがつけられないまま東京へもどることになったが、母は別れぎわにこう言った。

「実家の橋本家には、いつか才能ある書き手が現れ、山奥に追い詰められて生きてきた一族の歴史を、世に知らしめてくれる日が来るという言い伝えがあった。もしかしたら、お前いがその書き手かもしれんね」

その言葉を聞き、自分がどんな所で育ってきたか、改めて分かった気がした。

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 西日本新聞たかが還暦、されど還暦」2015年2月21日付   
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