西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第27回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第27回 To be, or not to be
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このまま仕事をつづけていてはプロの作家にはなれない。そう感じたのは就職五年目、二十七歳の頃である。
作家にも二つのタイプがある。森鴎外やダンテのように立派な仕事をしながらでも作品を書ける人と、
夏目漱石や太宰治のように自分を極限まで追い込まなければ書けないタイプである。
私はどうも後者のようで、一日二十四時間、全身全霊を注いで小説に向き合わなければ言葉が生まれてこない。
しかし仕事を辞めたからといって、プロの作家になれる保証はまったくないのである。その関門はどれくらい厳しいか。
それを計る一例が、出版社などが発行している雑誌の新人賞である。
応募数はだいたい千作ばかりなので、当選するのは千分の一の確率ということになる。
しかし、新人賞に当選すれば作家になれるわけではない。
そこから編集者や読者の厳しいふるいにかけられ、三年後に生き残っているのはおよそ十人に一人。つまり難易度は十万分の一にはねあがる。
このハイリスク、ローリターンの賭けに、今の恵まれた生活を捨てて挑むかどうか。なかなか決断がつけられなかった。
もし失敗したなら、仕事を失い家族を路頭に迷わせる。
聡明な妻が私を見限ったなら、家族まで失うことになりかねない。
しかしこのまま小説好きの公務員で一生を終えたなら、私は生きていないも同じである。
夜ごと日ごとに煩悶し、辞めるべきか留まるべきかと悩みながら二年ちかくを過ごした。心は辞めるべきだと叫んでいるが、常識的で臆病者のもう一人の私が、そんな軽はずみなことをするなと押し止める。
こうした悩みにけりをつけられたのは二十八の秋。インドを旅したことがきっかけだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月18日付
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