西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第25回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第25回 ドストエフスキー
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その頃書いていた小説は『反復する魂たちの群から』という大仰なタイトルだった。
青年時代のいくつもの問題意識を、何人かの登場人物に仮託して小説の中で解決しようとしたものである。
中でも死に直面して表現者になろうとした文学青年と、恋人を傷つけた後悔のあまり立ち止ったままのラガーマンは、恥ずかしながらかなり自画像に近い。
母親が担任の先生と浮気するという悲しい経験をした友人がいて、何度議論しても「女は人間ではない」と言い張り、それを証明するための精緻なロジックを組み立てていたが、若き日の心の痛手は若木に斧を打ち込まれたような傷となって一生残る。
それを忘れることができない以上、何度も心の中で反芻して、意味を問い直す以外に乗り超える方法はない。
そう覚悟してこんなタイトルの小説に取り組んだのだった。
その頃、文学的な興味は戦後無頼派からロシア文学に移っていた。
中でもドストエフスキーの人間の内面描写は素晴しく、友人と五人で研究会を作って作品を読むようになった。
『罪と罰』『カラマーゾフの兄第』、『貧しき人々』などは訳者を変えて何度も読み返し、懸命に本質に迫ろうとした。
ミハイル・バフチンの『ドストエフスキー論』なども読んで、文学的な手法を解析して自分の作品に取り入れようとした。
出張所での三年間の勤務を終え、下丸子図書館に移った。
立ち止まったままだったラガーマンは、職場の花と出会って再び歩き出し、華燭の宴をあげるはこびとなった。そこでどちらかが異動することになり、念願の図書館に行かせてもらったのである。
作家になるまでは故郷の土は踏むまいと決意していたが、嫁さんを連れて帰る仕儀になったのだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月16日付
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