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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第24回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/10/05

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■ ​ ​第24回 言えない本音
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三ヵ月ほどして役所の暮らしにも慣れた頃、先輩に紹介されて『野人』という同人誌に参加した。民主文学教室の卒業生が集まったもので、それぞれ社会に対する問題意識が高かった。月に一回、課題図書を決めて勉強会をやり、半年に一度は同人誌を発行した。
私も長編小説を連載していたが、作品の合評会は激しかった。
みんな「闘志」ばかりで、酒が入ると遠慮も会釈もなく激しいことを言う。

私は生来議論は苦手な質である。
山里の閉塞した社会に育ったせいか、本音を口にすることに臆病なほど慎重である。本音を言って人と争ったり傷つけたりするくらいなら、黙ってその場をやり過ごした方がいいといういびつな処世術を身につけている。
だからどんなに責められても、確かにそうかもしれないと反省するばかりで反論するばかりで反論することができなかった。
しかし心の中では「いや、そうじゃない」という思いがあって、反論の言葉をいくつも紡ぎ出していた。
この言えなかった言葉が、私の中に堆積し、小説の言葉となって表に出てくるのかもしれない。

「人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である」
太宰治は『津軽』の中でそう記しているが、私は小学生になる前からそんな感じを持っていた。人は当てにならないと思うから道化の仮面をかぶっていたのだろうし、信じられないと突き放しているから寛容にもなれたと思う。
しかし自分の失敗や人を傷つけたことには異常なくらい敏感で、ずっと昔の苦い思い出が、時折ヘルペスのように胸を刺す。
そして延々とその意味を考えつづけ、言葉となって心に降り積もっていく。何とも因果な生まれつきなのである。


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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月13日付   
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