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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第21回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/09/07

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■ ​ ​第21回 井伏さん宅へ
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大田区役所に入り、矢口特別出張所の区民係に配属された。
多摩川の矢口の渡しの近くで、南北朝時代に新田義貞の三男義輿が、この渡し場で足利方の謀略によって討ち取られた。

江戸時代、徳川家は新田家につながる源氏だと称し、義貞らを顕彰したこともあって、義輿の霊も新田神社を建立して祭られることになった。
もよりの駅を武蔵新田と呼ぶのはそのためである。

 

南朝ゆかりの山里で育った私が、特別区23区のうちの大田区に、しかも区の18出張所の中でも矢口に配属されたのは、天の配剤だったかもしれない。
後に新田義輿の事跡に材を取った小説を書き、歴史小説家になるきっかけになったのも、何かの縁に導かれていたような気がする。

中目黒にある職員寮に入り、東横線と目蒲線を乗りついで職場に通う日々が始まった。職場の人たちは個性的で親切なので居心地が良かったが、耐え難いのは職員研修だった。
同期の五十人ばかりと二週間ちかく研修所に通ったが、一日中拘束されるのが嫌で嫌でたまらなかった。
(僕はこげなこつばするために、東京に出てきたとじゃなか)
そんな思いが日に日につのり、ある日我慢の堰をきってしまった。

 

研修所に通う電車の中で、あんな所に行くより、井伏鱒二さんを訪ねて書いたばかりの作品を読んでもらおうと思いついたのである。
どうしてそんな不埒な考えを起こしたのか、今でも分からない。
だが絶対にそうするべきだという揺るぎない確信があり、途中下車して荻窪の井伏さん宅に向かった。
井伏さんは坂口安吾や太宰治の師にあたるので、作品を読んでもらい、作家になれるか判断してもらおうと思ったのだった。

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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月10日付   
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