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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第20回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/08/31

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■ ​ ​第20回 いざ、東京へ
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五年生になるとラグビー部に復帰した。前の五年生が大量に卒業し、残っている者が少ない。
そこでもう一度スタンドオフをやってくれと頼まれたのだった。
有難い話だが、かなり悩んだ。すでに作家をめざして歩み始めていたので、ラグビーに時間を割くのは嫌だった。再び古傷を痛めるのではないかという不安もある。しかし、みんなが待っていてくれるならと、復帰を決めた。
 
ラグビー部と文芸部を掛け持ちすることになったが、この経験が後に大きく生きることになる。今でも郷里にもどるたびにラグビー部の仲間たちと会い、楽しく酒を酌み交わせるのは、この時の決断のおかげである。
 
中でも監督だった井上先生には教えられることが多かった。
仲間と集まるたびに顔を出していただき、「貴様、馬鹿たれが」と叱られることもあったが、先生の前で不様なことはできないという思いが気力をふるい立たせる原動力になった。

卒業したら作家をめざすと決めていたものの、具体的にどうしたらいいかまったく分からなかった。ただ漠然と、プロになるには十年はかかるだろうと感じていた。その十年をどう過ごすかと考え、役所に就職して図書館に配属してもらうのが一番いいと思った。そして比較的入りやすい東京都特別区の試験を受けることにした。
 
試験の前日、ラグビー部の先輩の寮に泊めてもらったが、これがいけなかった。
先輩は同僚たちまで集めて歓迎会を開いてくれ、午前二時まで大宴会。
翌朝二日酔いをおさえるために迎え酒をして試験にのぞんだ。
 
今思い出しても冷や汗が出るほどの軽率さだが、神仏のご加護があったのだろう。
何とか採用していただき、大田区役所に配属されることになった。
夢を追う人生の旅が、いよいよ幕を開けたのだった。
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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月6日付   
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