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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第19回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ

Date:2018/08/24

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■ ​ ​第19回 津軽旅行記
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復学してからは、教室にいるより学校の図書館にいる方が多かった。
誉められたことではないが、授業をサボったり抜け出したりして図書館に駆け込み、文学や哲学などの本を読みあさった。
先生方はとっくにお見通しだったろうが、驚くべき忍耐力と包容力でじっと見守り、学生たちが自らの力で自己の花を開かせる時を待っていて下さった。
 
やがて文芸部に入ることになった。
落ちこぼれ仲間の森君が、つぶれていた文芸部を再興し、「筑水」という雑誌を出すことにしたが、部員が少なく体裁がととのわない。
そこで「お前も何か書かんや」と誘うので、津軽を旅行した時のことを書くことにした。高専では四年生の時に、工場見学を目的とした修学旅行をおこなっていた。
久留米を出て各地を回り、東京で解散する。
後はお前たちの好きにして構わないというので、私はバイトでためた貯金をはたいて太宰治の生誕地を訪ねることにした。
 
まず金木町の生家や、幼い頃太宰が遊んだ芦野公園をたずねてから、弘前市に向かった。太宰の研究者である弘前高校の相馬正一先生に会うためである。
ところが先生は、竜飛岬で行われている太宰に文学碑の除幕式に出席しておられるという。何という幸運だと、弘前からタクシーに乗って竜飛岬まで駆けつけた。
ドライバーに金がないのでよろしく頼むと言うと、「それなら一万円でいい」とメーターをストップしてくれた。
 
そんな経験と文学に対する思いを『津軽旅行記』というタイトルで書いたものだが、これが学内で大きな反響を呼んだ。
先生方ばかりかラグビー部の無骨な仲間までが、「安部、読んだぜ」と声をかけてくれた。この成功が大きな自信となり、作家への夢が揺るぎないものになったのだ。
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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月5日付   
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