西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第18回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第18回 生涯の財産
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休学中の目標だった司法試験の一次試験にはパスしたが、すでに弁護士になりたいという思いは失せていた。せっかく資格をいただいたので、本試験の一次試験を受けてみたが、むろん手も足も出なかった。
ともかく高専を卒業し、東京に出て文学修業をしよう。
そう考えて復学し、晴れて四年生になった。こんな我ままを鷹揚に許してくれた学校や先生方には、感謝の気持で一杯である。
高専にはまだバンカラの気風と、学生の自由を重んじる校風が残っていた。
先生方も学生を上から管理するのではなく、人生や学問の先輩として親しく接し、本人の成長を待つという方針を取っておられた。
親しい先生が寮の宿直をされる日には、皆で押しかけて行って車座になって語り合ったし、職員室にコーヒーを御馳走になりに行くことも多かった。
一緒に市内の居酒屋にくり出し、自宅に泊めていただいたこともあった。
そうした付き合いの中で人間的な感化を与え、高所の水が自然と低い所に流れるように生き方を教えていただいた。
同窓会で友人たちと会うと、こうした感化が生涯にわたって影響を与えていることがよく分かる。
みんなもう定年間近のロートルになっているが、生きる姿勢がしっかりしていて、それぞれの持ち場で責任ある仕事をはたしている。
二十数人が集まってそれぞれが粒ぞろいという集団はなかなかないものだ。
手前みそで申し訳ないが、OECD(経済協力開発機構)が高専教育を高く評価し、「数知れぬ海外の評価者たちと同様、我々も高等専門学校の運営、質、工夫に感銘を受けた」と明記しているのもむべなるかなである。
私は出来損ないの落ちこぼれだったが、こうした学校で学べたことは生涯の財産となったのである。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月4日付
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月4日付
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