西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第17回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第17回 作家になりたい
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きっかけは坂口安吾の『堕落論』だった。昭和二十一年に発表したこの小論で、安吾は敗戦後の風俗を強烈に風刺している。
<半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる>
しかし、それは人間が変わったのではなく、人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ。
価値観などは生活に都合のいいように作り上げた仮の宿のようなもので、そんなものにとらわれている限り、人間の真実は見えてこないし、心の安息も得られない。
その価値観をはぎ取り、自分が心から望むように生きる以外に人は救われないと、安吾は言う。
<人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない>
この小論を読んだ時、目からウロコが落ちた。
今まで狭い認識にとらわれて煩悶していた小さな脳髄を、斧で真っ二つに叩き割られた気がした。解放され自由になり、歓喜がわき上がってきた。
この喜びに引きずられて安吾の作品を乱読し、太宰治、檀一雄、織田作之助ら、戦後無頼派と呼ばれる作家たちの作品も読むようになった。
彼らは敗戦による価値観の大転換に直面し、戦後日本の生き方にもなじめず、己だけの真実を文学という形で追求しつづけた。
その問題意識は私とほとんど同じで、彼らの作品に触れたことで、こんな悩みを抱えているのは自分だけではないと分かった。
それを知ることで私は救われた。そしてこんな風に人を救うことができるなら、自分も作家になりたいと思ったのだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月3日付
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月3日付
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