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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第16回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/08/03

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■ ​ ​第16回 文学との出会い
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休学中の生活費は自分で稼ぐことにした。親に迷惑をかけているのだから、せめてそれくらいはしなければ申し訳がない。
そこで一日を二つに分け、午前中は勉強に没頭し、午後一時から六時まで、久留米市内のガソリンスタンドでアルバイトをした。
時給は二百五十円だったから、一日千二百五十円。他のバイトに比べると、結構優遇していただいた。弁護士になりたいと思ったきっかけは、久留米出身の楢橋渡氏の伝記に感銘を受けたことだろう。
 
家が貧しくて炭鉱で働いていた彼は、独学で司法試験を受けて二十歳の時にパスし、弁護士をへて政界の大物になった。
彼にできたことが、自分にできないはずはない。
 
まだ十八歳なのだから、二十歳まではまだ二年もあると青写真を描いていたが、学んでいくうちに法律は社会を維持するための道具にすぎないと思うようになった。
その道具を使って世の中を良くする方法もあるだろうが、その頃の私は間違った方向に突き進む社会に対して強烈な違和感を持ち、これを乗り越えるにはどうしたらいいかと思い悩んでいた。
 
違和感の原因のひとつは、六百数十年の間奥八女の山里で守られてきた価値観と、アメリカ主導でなりふり構わず高度経済成長路線を突っ走る現代社会のそれとが、あまりに違いすぎたことにある。
その違いに直面し、自分の価値観を守り抜くか、今の社会に合わせてうまく泳ぎ切るかの選択を迫られていた。
多くの人々は後者を選び、生来の価値観を捨てたことにさえ気付かず、収入欲や消費欲に追われて日々を過ごしていたが、私はそんな生き方をしたくなかった。
 
ならば、自分の価値観を活かせる道を捜すしかあるまい。
漠然とそう考えていた時、戦後無頼派の作家たちの作品と出会ったのである。
 
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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年2月2日付   
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