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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第15回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/07/13

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■ ​ ​第15回 田舎者の直感
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弁護士をめざしたのは、その頃、社会主義思想に共鳴していたからである。

70年安保反対闘争が終わり、学生運動の熱も冷めかけていたが、我ら遅れてきた青年は、熱心にマルクス、エンゲルスなどの本を読み、この国はどうあるべきか議論していた。

当時多くの学生がこの思想に心惹かれたのは、社会主義や共産主義のような政治制度を、めざすべきだという考えより、この思想が土台としているヒューマニズムに共感していたからだった。
世の中はヒューマニズムとは真逆の方へ突き進んでいく。

集団就職、受験競争によって人材が続々と都市に集められ、重労働や過酷な人事管理、公害などの問題を引き起こしながら、高度経済成長がはかられていた。
その結果日本は奇跡の復興を成しとげ、GNP世界二位になったが、それがアメリカ主導で行われたことを考えれば、決して手放しで喜べることではない。
日本人は労働力と国土だけを提供し、しゃぶり尽くされた揚句に捨てられることになりかねない。

しかも、その結果起こるのは過当競争による人間疎外、環境汚染、地方の過疎、民族意識の欠如などであり、残るのは都市に出たまま放置された年寄りと、荒廃したふるさとだけということになるだろう。
私は十七、八歳の頃からそう感じていた。
まだ政治的な知識も国際情勢に関する理解力もなかったが、田舎者の直感によってこの世の中は間違った方向に進んでいると察知していた。

だから、高度経済成長などと浮かれている世間に憎しみに似た違和感をおぼえ、社会の変革をなし遂げられなければならないと焦っていた。
だが、法律を学び弁護士になっても、自分が抱いている疑問の答えは得られないと分かる日が、やがてやって来たのである。

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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月30日付   
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