西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第13回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第13回 高専への進学
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理由ある反抗事件以来、私は猛然と勉強するようになった。
たかが勉強を先生たちがそんなに大事だと言うのなら、お望み通り点数を取ってやろうじゃねぇかと、反骨精神がむくむくと頭をもたげてきたのである。
そのせいで成績優秀になってしまい、久留米高専への受験を勧められた。
わが家には大学への進学させる経済的余裕はなかった。だが高専なら授業料も安く、先へ飛躍できる見込みがあると、担任の馬渡先生が進めて下さったのである。
気性が激しく、カッとすると生徒を殴り倒すような方だったが、生徒のことを親身になって考えてくれた。高専の受験の前日には自宅に泊めてくれ、当日は久留米の試験会場まで車で送って下さった。
この温情にむくいるためにも頑張ろうと、私は懸命に試験に取り組んだ。
そして何とかパスすることができ、昭和四十六年の入学の日を迎えた。
大恩ある先生にはその後も教えを受け、人生の幾度かの危機を乗り切る力を与えていただいた。
今年の年賀状には「君にはまだ伸び代があるから頑張れ」と書いてあって、胸が熱くなったものである。
高専の入学式には父が来てくれた。
奥八女の山里から都会(当時はそう感じていた)に出るのだから、緊張は相当のものである。
友人たちがスマートで賢そうに見えて内心ビビッていたが、負けるものかと身構えていた。
入学式を終え、必要な教材を買いそろえ、入寮の手続きを終えると、父は私を置いて帰っていった。
一緒にいる時は年寄りだし田舎臭いので恥ずかしいと思っていたが、校門を出て行く父の背中を見送っていると、切なさに泣きたくなった。
追いかけて一緒に帰りたいと思った。
自分にこんな感情があったのかと驚くほどの動揺ぶりだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月28日付
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