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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第12回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/06/22

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■ ​ ​第12回 兄の死
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 中学時代の一番のショックは、長兄が交通事故で死んだことだった。朝、元気に出て行った兄が、深夜に柩に入れられてもどってきた。顔には痛々しい傷跡があり、額の陥没骨折のために片方の目は開いたままだった。

 昭和四十四年六月九日のことだ。この年の交通事故の死者は一万五千人を超え、交通戦争と呼ばれる深刻な事態になっていた。友人が運転する車の助手席に乗っていた長兄は、コンクリートの塀に激突し、犠牲者の一人になったのである。

 行年二十五。十一歳上の兄だからずいぶん大人のように感じていたが、今思えばまだ青年である。中学時代は常に一番の成績で、高校に行かせてやってくれと担任の先生が頼みに来たほどだという。
 だが貧しかったわが家にそれほどの余力はなく、長兄は集団就職で都会に出ていった。
 そこの仕事になじめず、いくつか職を替えた末に、郷里にもどって働くようになった。そして家庭を持ち、長女が生まれた一年後の悲劇だった。

 この突然の不条理が、私に与えた影響は深刻だった。悲しみの嵐が去った後には、人間が死んでしまうことへの恐怖が襲いかかってきた。夜布団に入ると「お前もいつかは死ぬのだ」というささやきが聞こえ、恐ろしさのあまり眠れなかった。足もとに黒い穴がぽっかりと空き、どこまでも落ちていくような気がした。

 布団の中でうずくまり、眠れない夜を何日も過ごしたはてに、この恐怖から逃れるには死と正面から向き合うしかないと思った。そして闇の底の死と対峙し、これは誰にも逃れることができない宿命だと納得した。
 死んでしまう人間は、どう生きるべきか。考えの中心はそちらに移り、生きた証を残すしかないという結論にたっした。
 あれは十四歳の秋。作家になろうと決意したのは、それから五年後のことだった。

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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月27日付   
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