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金沢再訪、初夏に空高く(1)<事務所代表 森のfacebookより転載>

Date:2018/05/18

※事務所代表 森のfacebookより転載

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4月末

既に半月前の話である。「声研舎」の林恒宏さんの舞台参観へ金沢を訪れた。

今年2月末、羽咋の「西田幾多郎記念館」を訪れ、心に響く空間に感激した。翌日、盟友の鈴木大拙氏の記念館を金沢に訪れたかったのだが、あいにくの休館日で次回に持ち越しとなっていた。

金沢駅からタクシーで鈴木大拙館へ向かう。連休初日で街は大変な賑わいであった。
金沢城公園や兼六園の南、鈴木大拙館は閑静な場所にあった。すぐ脇には木々が迫り緑も多い。
鋭角な印象の建物が彩色を捨てた玄関へ続き、エントランスから真直ぐに廻廊が伸びていた。

先週の心臓手術の影響からようやく抜け出し始めている。
当日は緊張からか特に異常は感じなかった。
しかし翌日から体に澱が溜まったような重苦しさを感じていたが、ようやく四肢の先から澱が抜け始めた。

鈴木大拙館を訪れた写真から思いが行きつ戻りつしている。禅や哲学を体系的に学んだことはない。
だが、この場所に座り内庭に張られた水面に視線を置けばいつか自らの内面へ思考が向く。

今回を含め二度ほど特別な体験をした。
初回は5年ほど前の夏、心筋梗塞を発病し3日ほどICU(集中治療室)で磔になり、1週間ほど入院した。
胸の強烈な痛みが消え、痛みの向こうに冷たい汗を感じながら視野が暗転した。
幸いにも光が戻り気絶するまでには至らなかった。
しかし、今回は痛みを感じる間もなく心停止し気絶した。

つまり即死の状態だったのだろう。
この場所で、しかもこのタイミング以外には命を保てなかった経験に驚いている。

帰宅後、一つのイメージが浮かんでいる。
暗い泉が粘性の高い湖面のようにゆったりと揺らいでいる。
そこに泡が浮かび弾けては、喜怒哀楽の感情が意識の中に広がる。
その暗黒の泉の底は、気を失って観ていたと思われる紫雲が漂う暗黒の姿だった。
怒りも不安もなく感情そのものが飽和され漂っている姿が印象深く残像として残っている。

泉そのものが人の心、魂の姿なのだろうか。
答えのある話ではないが、寿命という言葉では語れない死生を捉える端緒になるのかもしれない。
鈴木大拙館の直線に切り分けられた湖面を前に、ただ微かに波打つ姿を見つめていた。

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<スタッフ後記>

こればかりは経験したものでなければ感じ取れないイメージなのだと思います。

いつかは来る終わり。どう足掻こうとも来るものではありますが、

いつまでも来てほしくないと願ってしまいます。