西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第11回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
■ 第11回 理由ある反抗
■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
南朝方の落人の里にあった剣持小学校から、昔の村の中心地に位置する大渕中学校へ進んだ。七㌔の山道を自転車で通うようになって、さっそく受験競争の洗礼を受けることになる。三カ月に一度模擬テストが行われ、県で何番くらいの学力があるか計られる。試験は主要な五教科で、満点は二百点。そのうち何点とれるかで偏差値を決め、どの学校に進むかの参考にする。生徒にとっては志望校を選ぶために、先生にとっては進路指導をするために必要とされたものだ。
牧場から牛を出荷する時、体重と肉の等級によって値段を決めるが、偏差値によって、高校、大学、そして就職先へと進む道が決められる。
生徒たちはそのシステムに否応なく叩き込まれ、いい人生を歩みたければ勉強しろと迫られる。心が優しい、思いやりがある、男気があって弱い者いじめを許さない。そんな美点などより、勉強していい点数を取れという教育が、臆面もなく行われるのである。
中学二年の時だったろうか。私はそんな教育にふり回され、登校する途中まで英単語を暗記しようとしている自分に腹が立ち、全科目白紙で答案用紙を提出した。
「こげなことより、もっと大事なこつがあるじゃろうが」
そう叫びたかったのだが、先生たちには届かなかった。職員室に呼び出されて説教された上に、両親にまで「お宅の子は云々」と連絡があった。
それを母から聞いた時、何と汚い奴らだと思った。私は先生たちに自分の考えをちゃんと伝えたのだから、真っ正面から受け止めて正しい道に導くのが教師の務めではないか。
それなのに両親に責任があるように言い立てるのは、卑怯な責任逃れだと、はらわたが煮えくり返ったのだった。
■――――――――――――――――――――――――――――――――■
西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月26日付
■――――――――――――――――――――――――――――――――■