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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第8回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/05/18

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■ ​ ​第8回 徴兵機関
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 山奥で育った子供が小学校に行くことを恐(こわ)がる気持ちは、私にもよく分る。森の中の閉じられた社会で家族の愛情に包まれて育ってきたのに、どうして学校などに行かなければならないのか。幼心にそう思うのは無理もないことだ。

 このあたりの微妙な心理を見事に描いているのは、中勘助の『銀の匙(さじ)』(岩波文庫)である。明治四十三年に書かれたこの小説は、子供たちが学校を兵舎のようだと感じていたことを教えてくれる。
 実際に明治維新後の義務教育は、富国強兵のための人材を育てることを目標としていたし、学校は兵舎と同じ造り、朝礼や式典、「起立、礼、着席」の号令も軍隊式で、それは今日も変わらない。

「そんな非人間的な場所に、どうして行かなければならないのか」
 多感な子供たちはそう感じながらも、失格者の烙印(らくいん)を押されるのが恐いので、泣く泣く兵舎(校舎)の門をくぐるのである。

 実は私にも似たような経験がある。小学校には行きたくなかったが、行かなければならないことは分っていた。そうした場合の身の処し方は、だいたい三つしかない。徹底して従うことによっていい子になること。反抗して己を守り抜くこと。そのどちらにもなれずに自己韜晦(とうかい)(自分を隠す)すること。この場合、道化の仮面をかぶって周りと協調しようとすることが多い。

 私もその口だったようで、入学検査の日に「お年はいくつ?」とたずねられ、おもむろに服のポケットを数えて「四つ」と答えた。ポケットのことを田舎では「落とし」と言うので、ボケをかました訳である。案の定、先生たちには大受けで、これなら何とかなるだろうとホッとしたものだ。

 学校は今でも徴兵機関(ちょうへいきかん)と同じで、受験競争の名のもとに田舎から有能な人材を都会へ吸い上げ、経済戦争に投入している。これを是とする思想を改めない限り、ふるさと創生など空念仏である。

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   西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月21日付   
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