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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第7回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/05/12

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■ ​ ​第7回 学校嫌い
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孫太郎は長崎奉行所での供述で、現地の言葉について語っている。トアイとは蛤(はまぐり)のような貝、ブアヤンとは鰐(わに)のことだといった塩梅(あんばい)である。

その言葉が今も使われているか、現地の人に確かめてみた。動詞はかなり変化していたが、名詞は当時とまったく変わらない。港町の様子も彼が供述した通りで、三百年近い時間を一挙に飛びこえたような感動があった。

孫太郎が商品の仕入れに訪ねたというジャングルの中の集落を訪ねた。バンジャルマシンから車で一時間、さらに山道を一時間歩いたところにその集落はあった。熱帯雨林の森を切り開き、高床式の大きな藁(わら)屋根の家が数軒建っている。

家というより丸いテント、あるいはモンゴルの遊牧民たちが使うパオに近い。直径十五㍍ほどの家の中央には囲炉裏(いろり)があって、まわりの床を十区画に区切ってある。ひとつの区画に一家族が住んでいるというが、仕切りもなく境目もわからない。

「このうち七つはわしの家族じゃ」

家のボスが自慢げに言った。親や兄弟、あるいは子供たちかと思ったが、七人の奥さんがいてそれぞれに子供がいるという。彼らは腰巻を当てているだけで、上半身は裸だった。

ダヤク・カハリガン族という。ダヤク族の中でカハリガン神を信仰する人たちである。五十がらみとおぼしきボスに、通訳をまじえて二時間ちかく話を聞いた。彼らは焼畑をしながら森の中を移動しているらしい。

カハリガン神は森にも宇宙にもあまねく存在し、時には怒り時には恵みをもたらすと聞き、八百万(やおよろず)の神とよく似ていると思った。あるいは神道の源流はこのあたりにあるのかもしれない。

「今年から政府の命令で子供を小学校に通わせることになったんじゃ」

ところが息子が町の小学校に通うのを恐(こわ)がって困る。ボスは煙草(たばこ)をふかしながら渋い顔をした。

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 西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月20日付 
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