西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第6回【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第6回 博多っ子魂
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旅といえばボルネオ島へ行った時のことも忘れ難い。『海神(わだつみ)―孫太郎漂流記』(集英社)を書くための取材に出たのである。
江戸時代の中頃、博多生まれの船乗りである孫太郎は、奥州の材木を江戸へ運ぶ途中、福島県の塩屋の岬沖で遭難した。冬場に特有の鉄砲西(北西からの強風)に吹かれて沖へ流され、不幸なことに黒潮に乗ってしまったのである。
黒潮は北太平洋では西から東へ流れ、南太平洋に入ると東から西へ向かう。孫太郎は十数人の仲間とこの流れに乗って漂流し、ちょうど一カ月後にフィリピンのルソン島に漂着した。
そこを現地住民に捕らえられて奴隷として働かされ、他の仲間は劣悪な環境の中で次々と死んでいくが、孫太郎だけはボルネオ島のバンジャルマシンに住む華僑(かきょう)に買い取られて生き延びた。そしてこの地を植民地としていたオランダ人の好意で、長崎奉行所に送還されたのである。
この時、奉行所での取り調べで孫太郎が供述した内容が記録として残っている。それを読んで是非(ぜひ)とも小説に書きたくなり、孫太郎が数年を過ごしたバンジャルマシン市を訪れたのだった。
インドネシアのジャガルタから飛行機で飛んだが、まず驚いたのは町の大きさだった。ボルネオといえば赤道直下のジャングル地帯だと思っていたが、人口百万をこえる大都市なのである。
古くから港町として栄えたところで、オランダ人がきずいた赤レンガ造りの巨大な要塞(ようさい)が今も残っている。マニラにあるスペインの要塞とそっくりで、戦国時代に東洋に進出してきたヨーロッパ人の正体がどのようなものだったか一目で分かる。
孫太郎はこの港の華僑の店で小間使いとして働かされた。やがて持ち前の博多っ子魂で徐々に頭角を現し、店の主人にも信用されて、商品の買い付けを任されるようになったのだった。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月19日付
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