西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第5回【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第5回 子供の遊び
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子供の頃の遊びはなつかしい。近所の同級生やお兄ちゃんたちと、山へ行っては鳥を獲り、川へ行っては魚を釣った。
中でも懐かしいのは「夜間掛け」である。うなぎが遡上してくる夏休みの頃、小魚のえさをつけた長さ一メートルほどの釣り糸を夜の間川に流しておく。すると夜間に行動するうなぎがこれを食べ、罠にはまるのである。
朝早く起きて回収しに行くと、十本仕掛けていたものに一匹くらいはかかっていた。子供のひざくらいの浅い所に仕掛けるので、寝坊をして引き上げるのが遅くなると、沢蟹がびっしりとうなぎに取りついて食べていることもあった。
矢部川の上流には鮎がうんざりするほどたくさんいた。水中にもぐると鮎の群が折り重なるようにして泳いでいる。川に立って遊んでいる時には、鮎の口元がすねに当たってこそばゆいので、「お前だん、せからしか」と言って群を蹴り飛ばしていたほどだ。
その頃は旨いとも思わずに食べていたが、都会の料理店などで鮎やうなぎが出ると、いつもいまいちだと思ってしまう。子供の頃に食べた味が頭に残っているせいか、養殖物だとおいしいと感じられないのである。
家の手伝いも遊びの一種だった。家には農耕用の牛を飼っていたが、それの世話をするのが子供の仕事だった。草を刈ってきて、台に固定した食み切り包丁で細かく切り、藁を切ったものと混ぜて食べさせる。
牛小屋から引き出して散歩につれて行き、道端の草を食べさせたり、川に入れて体を洗ってやったりした。
中でも牛が好きだったのは、春先に田んぼに植えられたレンゲソウで食べ始めると梃子でも動かない。仕方がないので昼寝して待っていたものだ。
以前ネパールの山間部を旅していた時、その頃の自分と同じように牛を引いて散歩している少年がいた。あれから何年たったのだろうと、もの哀しい郷愁にとらわれたことを覚えている。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月16日付
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