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たかが還暦、されど還暦

西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第4回【オフィシャルサイト限定コンテンツ】

Date:2018/04/27

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■ ​第4回 あえのこと
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 六百数十年も山奥に隠れ住んだと言えば、まるで横溝正史の『八つ墓村』のようだと思われる方も多いかもしれないが、こうした地域は日本中に点在している。能登半島の先端に近い時国家もその一例である。

 源平争乱に敗れた平時忠は能登に流罪となり、家族や郎党と共にこの地に住みついた。
その子時国が跡を継ぎ、子孫たちは廻船業や製塩業などで大いに栄え、今も立派な館とともに血脈を保っている。

 昨年秋に「上時国家」に取材に行った時には、八十九才になられる第二十四代の奥様が応対に出て、「今もあえのことを行なっていますのよ」と教えて下さった。
「あえのこと」とは、冬場の寒い間、田の神様を家の中に迎え入れ、風呂に入れたり食事のもてなしをして、翌年の豊作をもたらしてくれるように願う年中行事である。上時国家では十二月五日に迎え、三月五日に送り出しておられるという。

 神様を相手に湯加減を見てやったり、ごはんやみそ汁をよそうとは、現代っ子には「アホちゃうか」と冷笑されそうだが、かつて日本人はこうやって神様や自然とともに生きてきた。

 そうした慎みと感謝の気持があるから、乱開発や環境汚染を起こさない生活様式を守るように務めてきた。能登の里山里海が日本で初めて世界農業遺産に認定されたのも、こうした生き方や伝統、それによって作られた景観が評価されたからである。

 私の幼い頃の生活も、まさに自然と共生したものだった。昭和三十九年の東京オリンピックまでは、テレビも洗濯機も冷蔵庫もなかったし、車もほとんど通らなかった。
時折材木を積みだすためのトラックが通ると、排気ガスの臭いが珍しくて後を追いかけていたものだ。車は曲がりくねった道をゆっくりと走るので、荷台の縁にぶら下がって得意になっていたものである。

 

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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月15日付 ■――――――――――――――――――――――――――――――――■