西日本新聞連載エッセイ『たかが還暦、されど還暦』第2回 【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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■ 第2回 歴史の必然
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四十前に死んだほうがカッコいいと書いた吉田兼好だが、人生、そうはうまくいかなかった。
七十歳ちかくまで長生きしてしまった上に、生活に困って恋文の代筆までしたと『太平記』は伝えている。
当時足利軍団の軍団長であった高師直は、塩谷判官髙貞の妻に横恋慕し、
何とかくどき落とそうと兼好に恋文を書かせて付け文をする。
これは自信作だから大丈夫と兼好が請け負うので、師直は今にも返事が来るものと
ドキドキして待っているが、いつまで待っても梨のつぶてである。
家臣に様子を見にやらせてみると、
相手は一読するなり恋文を庭に捨ててしまったというではないか。
激怒した師直は兼好をさんざん恥ずかしめて屋敷から叩き出した。
『太平記』にかかると随筆の大家も形無しだが、私はここで描かれている師直が大好きである。
横恋慕するならこれくらい一途に激しくやってくれと思うからで、作家としてデビューしたのも『師直の恋』という短編だった。
もう三十年ちかく前のことだが、思えばこの登場人物二人と我がふるさと福岡県奥八女地方は、不思議な方言でつながっている。
今はもう使う人も少ないだろうが、一人で淋しい状態を「とぜんなか」といい、桁はずれに凄いさまを「バサラか」という。
とぜんとは徒然草の徒然、まさにつれづれなるままにである。
バサラとは南北朝時代の豪放磊落、傍若無人な生き方のことで、バサラ大名という言葉が生まれた。
その代表選手が高師直なのである。
「今夜はとぜんなか」「バサラか美しかった」
などという言葉を使って育った私が、兼好と師直のかけ合いを描いた『太平記』に心ひかれ、『師直の恋』を書いたのは歴史の必然だったかもしれない。
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西日本新聞「たかが還暦、されど還暦」2015年1月13日付
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