「信長公紅葉祭り」
※事務所代表 森のfacebookより転載
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
11月11日
「信長公紅葉祭り」である。
18年前、「歴史街道」という歴史雑誌で「信長公首塚」の伝説を取り上げ寄稿したことがこの祭り起こりであると聞いた。
それにしても、18年である。安部も付き合いが良いと思う反面、学生時代から神輿に乗るのが好きで、いつも祭りというか騒ぎというか、人だかりができると必ず真ん中に必ずいた。
私は何時もこの埒外にいて傍観を決め込むのだが、たいてい最後の収拾役のお鉢が回ってくる。
安部との付き合いにおいては、必ずそういう役回りになるのである。
そろそろ半世紀になろうかとする付き合いながら、未だに理由のほどはわからない。
何時もは徳川家康役に扮装するのだが、富士宮市長さんからのたっての依頼でかなり肉付きのよい織田信長の挑戦である。
甲冑を纏い赤いマントを付けると、不思議にもそれらしく見えてくる。着付と化粧の係の方の勝利としておきたい。
当日は、晩秋の清々しい晴天に多くの来場者のなか武者行列がにぎやかに進んでいく。
神田すみれ氏の講談や春風亭昇太氏の落語など、盛りだくさんのイベントが会場を盛り上げていた。
祭り最後の火縄銃演舞が駿府鉄砲衆によって披露され、安部もその一翼をになった。
火縄銃演舞終了後の集合写真には、爽快な気分を満面に広げた太めの信長公が皆さんと共に収まっている。
これが、この「信長公紅葉祭り」を止められぬ理由なのだと得心した。
写真は、この「足拵え」気合の入り様がみえる。
お市姫や濃姫に囲まれて、得意満面の信長がにやついているのが悔しいので小生もサングラスつけて写真に納まった。
最後の写真は演舞終了後の化粧落としだが、当日参加された「歴史街道」の大山編集長も駆り出され化粧落としの使い走りとされてしまった。腹からの大笑いがこだまする祭りであつた。
さて、19回目は家康か信長か、はたまた・・・
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
【スタッフ後記】
安部の信長姿がなかなかきまっています。
現代に生きていて甲冑を身にまとうことなんてなかなか無い経験。
私も機会があればぜひ着てみたいです。