『花戦さ』 / 新いけばな主義
※事務所代表 森のfacebookより転載
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先日、知人より強い斡旋もあり映画「花戦さ」を視聴した。
もとより、生け花など雅な文化に疎いのではあるが、振り返るほど光のある生け花に引かれる事もある。
映画というより花、生け花を見てほしいとの要望である。
昔懐かしい昭和の香り漂う蒲田の映画館であった。映画の内容や時代考証などは、一応置く。
池坊専好が岐阜城で信長へ「大砂物」を披露した。
武家の強さに叶う登り龍が立ち上がり其処ここに花達が謳っている。
右の腕には障壁に描かれた鷹かイヌ鷲を借景とし空高く舞い上がっていた。
まさに狩野永徳や長谷川等伯を彷彿とさせる金碧障壁画である。
安土桃山文化そのままに絢爛豪華な生け花の世界に驚かされた。
又、最後に秀吉に披露された「秀吉・大砂物」は、戦乱を一つ越えた関白への披露として、枝ぶりも力ではなく雅の先に安寧を、整った安らぎを活けたのだろうか。
一つだけ映画の内容に触れるとすれば、利休が「金、赤、黒それぞれに・・」と秀吉に問う戦。
人の世は「それぞれが・・」争い奪い合う。戦を笑いに逃げてはつまらない。
この「花戦さ」秀吉茶会の利休のしつらえに花々を活けた松の枝「それぞれの集う世こそ・・」と解を置きたい。
今日、所用があり横浜の馬車道通りへ出かけた。
日本郵船博物館を過ぎると「Bank ART StudioNYK」の看板と共に「新いけばな展」とあった。
倉庫を改築したソーホーと見まがう佇まいに引かれドアを引いた。
「現代いけばな」とは私が知る「いけばな」とは異質の世界であった。
肉厚のサボテン?の葉を巻き上げて天に上る龍を具現化したかのような作品名「宙へ・そらへ」。
小枝をパステルに着色し青竹を組み合わせた作品など見知らぬ世界が広がっていた。
造形芸術として理解は可能なのだが、はたしてこれは「いけばな」なのだろうか。「いけばな」を学んだこともない。
まして私が成否を問うものでもないだろう。「咲いて花・散って華・生きてある今こそ活ける華」私はそう思っている。
生を謳歌してこそ「いけばな」であると信じている。
「花戦さ」にみた「カキツバタ一輪、」結髪女が錦絵から飛び出す艶やかな立ち姿、惚れ惚れと見とれてしまう。
利休との別れ「寒梅」、ほころぶ際の薄紅が別れの気配を巻き込んで、凍えるほどの寂しさに細く伸びる枝先が凍ったかの如く見える。
日常に見過ごしていた「いけばな」という新たな楽しみに気づかせていただいた知人に感謝する。
赤レンガ街が向こうに見えるアートカフェで観念ばかりに捕らわれ見失った夢を思い出していた。
蒲田の昭和が香る映画館で、もぎりのおばさんからチケットはシニア料金が使えますと先に云われた。確かに異論はないのだが、残った黄色の半券に青の刻印が薄く残っていた。
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【スタッフ後記】
「現代いけばな」という世界。
私が今まで持ち合わせていた生け花という表現には無い、ダイナミズムを感じます。
今度開催されるときは、ぜひ訪れてみたいです。