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『花戦さ』 雑感

Date:2017/07/10

※事務所代表 森のfacebookより転載

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「花戦さ」雑感

昨日の誕生日にFacebookのお友達から驚くほどのお祝いをいただいた。

携帯が鳴り続けたのは安部が直木賞受賞の時依頼だった。

あのときも二人の携帯をマナーモードではなく完全に音を消したが、今日も暫く止めざるをえなかった。感謝申し上げる。

先日、映画「花戦さ」視聴の感想を書いたが、あちらこちらから「解」を聞かせろ云う声が届いた。

「いけばな」という雅なたしなみや知識など持ち合わせてはいない。

「花戦さ」を視聴した私見である。

 

多々ご意見もあろうがご容赦いただきたい。

利休が「金、赤、黒それぞれに・・」と秀吉に問う戦。

人の世は「それぞれが・・」争い奪い合う。

戦を笑いに逃げてはつまらない。

この「花戦さ」秀吉茶会の利休のしつらえに花々を活けた松の枝「それぞれの集う世こそ・・」と解を置きたい。」そう書いた。

岐阜城で信長に池坊専好が披露した「信長・大砂物」時を得て威を張った赤マントの信長そのものだった。

この華に真っ向むかえるのは当時の羽柴秀吉ではない。

そして、清州や安土城時代の信長でもなく、岐阜城時代の信長以外にはない。

又、「秀吉・大砂物」も前田利家や信長ではなく天下平定後の太閤秀吉その人を活けたと言えるだろう。

秀吉茶会の場では、秀吉が金の茶室としつらえで民草をもてなし、利休は際にある松の枝に池坊専好が多様な花を活け設えとした。

人々は金の茶室の物珍しさから専好の活けた花々にあふれた利休の席へ流れていく。

人の理を忘れ暴君への道を進む秀吉を、利休は一輪の朝顔に友としてもてなすが届かず、死を迎える。

専好が苦悩の末、秀吉を諫める花戦を挑む場で、華を武器に挑んでも利休と同じ秀吉の威には届くまい。

信長が認めた専好の「大砂物」、「秀吉・大砂物」から菖蒲や蓮、躑躅や苔に至るまで取り去った裸の大松、裸の秀吉だけでは人の世にはならぬ。

民草が、花々が大松と共に咲きほこらねば「大砂物」そして、天下に華は生まれない。池坊専好がそう秀吉をもてなす戦だと思いたい。

 

池坊専好が利休との別れのもてなしに活けた寒梅に、鳥肌が立つほど感動した。

又、燕子花一輪の匂い立つような艶やかさは、撮影時に池坊の教授がその場で活けなおしたとの事である。

「いけばな」という身近なものでもありながら、華道の「もてなし」という言葉の深みを改めて考えさせられた。

一見の価値はあるかに思う。

 

【映画】花戦さ 特設ページ

http://www.hanaikusa.jp/ikebana/index.html

 

つい最近、学生時代に文芸部に在籍していたS君に43年ぶりにFacebookで再会した。やはり応援はしていてくれたようで、3年前に放映された「等伯紀行」も視聴してくれたそうだ。

再開を祝してご一緒いただいた田中美里さんと部員の写真をUPしておく。

部員の鼻の下が幾分か伸びて見えるのは見間違いである。

見とれた私も邪魔だと、撮影クルーに云われてしまった。

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【スタッフ後記】

安部の鼻の下が伸びているように見えるのは、見間違いです。

ですが、男というものはいくつになっても、

きれいな女性に弱いということがわかる、いい写真だと思います。