【新シリーズ開始】『等伯との旅』 第一回【オフィシャルサイト限定コンテンツ】
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├┼┐『等伯との旅』
│└┼┐ 第1回「等伯は私である」
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直木賞の発表を懇意にしている大田区西馬込の寿司屋で待った。
たまたまこの日は中国旅行をご一緒した財務省OBのTさん、大学教授のO先生と会食する約束があり、賞の発表の日と重なってしまった。
「思いがけないことになりましたが、発表を一緒に待っていただくことにしてもいいでしょうか」
そうたずねると、お2人とも二つ返事で了解して下さった。そこで友人や担当編集者もまじえて7、8人で待つことにしたのだった。
6時頃から寿司をつまみながら飲みはじめ、候補作になった『等伯』の話などをしながら発表を待った。
賞の候補にしていただくのは18年ぶり。『彷徨(さまよ)える帝(みかど)』(角川文庫)以来である。今度こそ取れるだろうという自信と、これで取れなかったら一生無理だという不安がある。そんな姿をあからさまに見せるのは恥ずかしいので、つとめて平気な顔をして話に応じていた。
午後7時過ぎに芥川賞が決まったというニュースが流れた。黒田夏子さんの『abさんご』。75歳での受賞は史上最年長だと取り沙汰(ざた)されていた。
(直木賞も、もうすぐだ)
緊張の水位は次第に上がっていく。取れるだろうという期待と、もし落ちたらという不安に、胸はわなないているが、7時半になっても発表はなかった。
それまで快活だったTさんもO先生も、次第に口数が少なくなっていく。落ちたらどう言ってなぐさめようかと案じておられる雲行きである。
「これだけ長引くということは、該当作なしか2作受賞だわね」
経済動向の分析では定評があるO先生が、深い読みをされた。
なるほど、選考が紛糾(ふんきゅう)するのは、圧倒的な支持を集めた作品がないからにちがいない。さすれば我が『等伯』は、窮地(きゅうち)に立たされているのではないか……。
重苦しく長い時間に耐えていると、午後7時37分すぎに携帯電話が鳴った。
「日本文学振興会の〇〇ですが」
その声を聞いた瞬間、当選したと分かった。落ちた場合には、文藝春秋の担当編集者から電話があるからだ。
「ありがとうございます。すぐに伺(うかが)います」
その答えで結果を知ったみんなが、どっと歓声を上げた。ぎりぎりまで引き絞った弓を一気に放つように、手を叩き祝福の声を上げて歓びを爆発させてくれた。
自分の人生に照らし合わせて
それからはジェットコースターに乗せられたようなあわただしさだった。
水を1リットルほども飲んで酔いをさまし、東京会館の記者会見場に向かった。その間もお祝いの電話が鳴りっ放しで、携帯の回線がパンクしたほどだった。
同時受賞の朝井リョウ君、黒田夏子さんと席につくと、前に並んでいた報道陣のカメラのシャッター音とフラッシュが、右から左へ、左から右へ、滝のような音となって行き来した。
2013(平成25)年1月16日のことである。
会見の席上、私は「等伯は私である」と言った。フローベールの「ボヴァリー夫人は私である」という言葉を下敷きにしてのことだが、等伯の画業にかけた苦難の人生を描く上で、私は小説にかけた自分の人生を重ね合わせていた。
絵も小説も表現という点では同じである。表現者として直面する葛藤(かっとう)も、上達する上で乗りこえていかなければならない壁も、似通っている。それゆえ私は自分の人生に照らし合わせて等伯を描き、喜怒哀楽を共にしながら物語を進めていった。
等伯は私であると言ったのは、そうした経験があったからだ。私は等伯と出会い、共に魂の旅をすることで、いつの間にか、それまで手が届かなかった高みへと連れていってもらった。
そのことへの感謝を込めて、「等伯との旅」のいきさつを書き留めさせていただきたい。
戦国時代の絵師を主人公にしたのは、理由があってのことである。
33歳で歴史小説家としてデビューして以来、私は戦国武将を主人公にした多くの小説を書いてきた。中でも織田信長に強い興味を持ち、『信長燃ゆ』や『蒼(あお)き信長』(以上新潮文庫)、『天下(てんか)布(ふ)武(ぶ)』(角川文庫)などを上梓した。
興味を引かれたのは、信長が好きだからではない。どうして戦国時代の日本に信長のような天才と狂気を合わせ持つ人物が現われたのか分からないので、小説に書くことによって、その実像に迫りたかったのである。
しかし、それは容易なことではなかった。2万人も柵に閉じ込めて焼き殺す男の内面に、虫も殺したことのない現代の作家が迫るのは至難の業である。
それでも何とか実像に迫ろうとあがいているうちに、信長をなぜ理解できないのかについては、おぼろげながら分かってきた。
その最大の原因は、信長や戦国時代を江戸時代の史観で語っていることにある。
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北國文華 第67号(2016年3月 春号)掲載原稿より
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