哲学の道から(2)慈照寺<事務所代表 森のfacebookより転載>
※事務所代表 森のfacebookより転載
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哲学の道から(2)
葉を落とした冬の道を一人歩く。
疎水沿いの道に石畳が続いている。だが遠い昔にそんな飾りなどなかつたと思う。
記憶も古びてとりとめもないが、晩秋の小雨に濡れながら足下ばかりを気にしていた記憶がある。やはり寒い道だった。
ここに足を向けたのは、来週金沢から長谷川等伯のふるさと七尾を訪れるからだった。その途中、JR七尾線宇野気駅に西田幾多郎記念哲学館があり、昨年に続き再訪しようと考えていた。この道に思索を深化する何かがあるように思えたからだ。
慈照寺の門前には、既に観光客が溢れて山門へ流れていく。原色の町屋が軒を連ね、プラスチックに似た食べ物を口に運び、片手でスマホをいじっている。空を見るしか方法はない。
山門を越えるとようやく京都へたどり着いた気になった。
観音殿(銀閣)には思い出がある。初秋の頃、境内の盛り砂がブルーにライトアップされ観音殿を怪しく浮き上がらせていた。東山に続く庭や木立の紅葉も一層もえあがり言葉を失うほどだった。だが今、年を経てその衣装に心が動くかどうか疑問である。歴史の色を失い、時を失った作られた光がはたして美しいのか、そう思うようになってきた。
立春ではあるが苔の碧もいまだ深く、雲に閉じられた空に季節の移りは聞こえてこない。
慈照寺を後にし、疎水をたどり禅林寺への戻り道をゆく。
喧騒は追ってこなかった。
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<スタッフ後記>
修学旅行のタイミングで訪れて以来、一度も足を運べていない銀閣寺。
慈照寺という読み方があるということを知らせてくれたのも、
このオフィシャルサイトの記事更新をしていたからこそです。