東山魁夷・雑感(4)<事務所代表 森のfacebookより転載>
※事務所代表 森のfacebookより転載
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画文集の最初のエッセイは「追憶の海」である。
読み始めてすぐ、次のような一文があった。
『それまで夢中で辿って来た道が遥か彼方の麓の方まで延々と見えているが、もう少し先へ進むと道が曲がって、すつかり見えなくなつてしまうと云う位置があります。
遠く過ぎ去った青春ではあるが、まだ今でもいろんなことが見えている。
然し、これから先になると、だんだん忘却の霧の中に消えてしまいそうな年齢、そんな年齢に達したと思うからです。』
作品「道」そのものである。
当時、私の歩く道は青々とした草花に囲まれ初夏の頃だった。この一文の意味を捉えることなどできるはずもない。
遠くの先で右に折れる道は、何処に続くか見えてはいない。私の道は明日へ続く夢と不安が錯綜しながら続いていた。
今、私の道は芒が穂をもたげ、野草も秋を深くし始めている。
しかし晩秋の道ではあるが続いているのだ
先月、友人が体調を壊し慌てたが、幸い大事には至らず無事に回復した。だが、友人から逆に私の体調を指摘された。
春先の手術以降、はかばかしい状態ではなったのだ。
最初の心筋梗塞で運び込まれた病院でそのまま継続して診療を受けていた。
友人が以前から紹介してくれる専門医へ変わるのは不安もあって先延ばしにしていたのだが、今回の一件でお願いする事にした。
来週が初の診療である
友人の歴史作家としての課題は、これからでも十年では収まらないだろう。伴走を約束した文芸部長である私も、うかうかとはしていられない。
今も道はそう遠くない先で、やはり右に折れ霞んでいる。
いつか「道」のモデルとなった八戸・種差海岸へ、初夏の日差しが溢れるころ訪ねたいと思っている。
-了-
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<スタッフ後記>
今、自分がどの季節を歩いているのか。
春は過ぎ、夏を謳歌していたと思いきや、いつの間にか秋になっているかもしれません。
夏を精一杯生きたいと強く思いました。