京都から奈良、そして歴史の旅(2)<事務所代表 森のfacebookより転載>
※事務所代表 森のfacebookより転載
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保津峡から嵯峨嵐山駅へ戻り、嵐山渡月橋へ向かう。
平日にもかかわらず渡月橋へ人の流れがある。
以前には見かけなかった町屋に土産物屋が続き、異邦からの旅人を誘っていた。
嵯峨野の通りから渡月橋にかけて人が溢れ、観光客向けの店が着色剤で色づけされ並んでいる。
狂騒の道から渡月橋を渡り嵐山へ向かった。
「街道をゆく」にあった「大悲閣・千光寺」がある。
川沿いを登り始めると、多くの川船が係留されている。紅葉ともなれば落ち葉と共に浮かぶのだろう。
午後を幾分過ぎ、対岸の嵯峨野に日差しが降りそそいでいる。
山裾の道に人は少なく、山影になった保津川沿いの青紅葉が陰っていた。
少し進めば角倉了似が開鑿した大堰川(保津川)の岩肌が露出している。大岩を撃ち抜く困難さを肌で感じた。
さて、司馬さんも途中で引き返したという石段である。
緩やかな坂道が右に折れると石段へ変わり、さらに幾つも折れるたびに階段の勾配がきつくなった。
人が追い越すたびに、立ち止まり大きく深呼吸する。
越えてきた道よりも、越えられる道はそう多くはないのだ。
今、越える道の足跡を楽しんでいる。
長々と続いた石段の踊り場に、洗心亭という東屋があった。
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<スタッフ後記>
今年の7月ごろに嵐山渡月橋を訪れたのですが、
人々の列が全く途切れずこれでは橋が落ちるのではないかと心配になったものです。
ただ、少し離れて改めて橋を見て、頑強な作りに安堵したことを思い出しました。