ミッドナイトバス
※事務所代表 森のfacebookより転載
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1月27日 竹下昌男監督の映画「ミッドナイトバス」の封切りである。
先回の川井郁子のコンサートでテーブルがご一緒になり、有楽町スバル座の封切りに必ずお伺いするとお約束した。初日は一番の幕で舞台挨拶を予定おられるとご連絡いただいた。
安部も竹下監督とは川井郁子さんのパーティーで懇意となり、大分県と福岡という九州人の心やすさにカラオケまでご一緒する仲となっている。この映画の試写会に招待され、映画のパンフレットへ寄稿している。事前に感想を聞いたのだが、自分で見といでと言う。ただ、二時間半の長さをどう感じるかだろう、そういって笑った。
高速バスの運転手、高宮利一(原田泰造)が新潟と東京、二つの場所を父親の顔と男の顔を往復しながら、
未成熟のまま別れた家族が男の別れた妻との出会いを切っ掛けとし、再集合し家族という絆を越え一人の人間としてそれぞれの道に進み始めるまでの物語。
家族という絆とそれぞれが自立と孤独との葛藤に向き合う姿が誤解や摩擦を生みすれ違っていく。家族の要という父親(原田泰造)の覚悟の無さと優しさと云う優柔不断な男の姿が心の内に懐かしい。
最後にようやく孤独という意味に気が付いた男が、預かった器を届けるためと言い訳しながら別れた恋人へ会いに行き、なついていた犬に愛想する姿が無性に腹が立ちさらに恥ずかしくもあり、しかしながら悲しく笑ってしまう。
後悔したところで元に戻るはずもないもないことは誰もが知りながら、後悔という滴は容易に振り切れない。ぬぐえぬ背中の汗ようにしつこく寒い。
何時か何かの拍子に、友人が後悔することが多だろうと聞いて来たことがある。しかし私は、反省はするが後悔はしないことにしていると答えた。友人が呆れた顔をしたがここは鉄面皮に押し通した。
本当は、後悔することが多すぎて溺れてしまうからだ。反省という名の添え木を括り付けようやく二足歩行を維持している。そんな私がこの映画に感動した。
この作品には大きな事件やトリックなど何もない。何処にでもある家族の問題、そして恋愛や孤独や老いなど何処にでもある、誰のポケットにも必ず入っている問題だけである。
だが、日々見落としてきた、さらには拒んできた日常という空間に潜む哀しみが掌に零れてきた。
祖父役の長塚京三が、認知症の自らを「五里霧中」と笑った。
無間地獄には未だ落ちてはいないが、無間の空にふわりと浮かんだ私が泣き笑った「ミッドナイトバス」を映画館で視聴いただければ幸いである。
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【スタッフ後記】
先日のオフィシャルサイト記事でもご紹介した『ミッドナイトバス』
原田泰造氏は、普段のテレビでは想像もできないほど(言葉が難しいですが)真摯に役を演じられる方と聞きます。
ぜひ、ご覧いただければと思います。