「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」
※事務所代表 森のfacebookより転載
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
先週、楽しみにしていた「ロダン・カミーユと永遠のアトリエ」を参観した。
渋谷Bunkamuraへ向かう道は落ち葉が風に舞い、いささか早い木枯らしに襟を立てた。
ロダンとの出会いは、アメリカ東部へ初めて訪れたニューヨーク・ワシントンDC・フィラデルフィアを巡った旅だった。
まだ私が三十代なかばであり海外へ出るのも、まして現地案内もなくただ一人で英語圏へ出かけた最初の旅でもあった。
フィラデルフィアに向かった目的は、アメリカ独立宣言を読み上げる際、人々を招集した鐘(Liberty Bell)である。
アメリカ合衆国の根っこに触れてみたかった。
まったくそのついでに、フィラデルフィア美術館へ立ち寄った。
映画「ロッキー」で有名な階段(ロッキー・ステップ・The Rocky Steps)がある美術館である。
参観し帰り道、併設された美術館には「考える人」や「地獄の門」など初めて見る彫刻が庭園に据えられていた。
まだ、ロダンとカミーユとの関係など全く知らず、さらにはロダンとフィラデルフィアとの縁など知る由もなかった。
館内に展示された彫刻の存在感に圧倒されてしまった。
6月末の熱い日差しが夕焼けに変わる頃、彫刻の前のベンチに座り込んだ。
「地獄の門」が夕日に陰って行ったのを覚えている。残念ながらパリのロダン美術館を訪れたことはない。
映画「ロダン・カミーユと永遠のアトリエ」は子弟関係が愛人関係に変わり、カミーユが女性としての葛藤に苛まれる中、芸術家は芸術家としての感性のまま困惑しすれ違う。
カミーユが堕胎の傷を恋人にいたわりを求めるが、恋人は芸術家という他界の人でしかない。
ロダンという彫刻家は、肉体も感情もまして恋愛やエロス、更には日常でさえ観察の対象であり彫刻の素材にしてしまう生き物なのだ。
最後にカミーユの彫刻『嘆願する女』を見つめるシーンでは、ロダンの視線はカミーユの狂気にのたうち回る焦がれでさえ、掌でなぞりながら心のフォルムを確かめようとしているようだった。
カミーユとの幸せな時も、すれ違いいがみ合う時も、内縁の妻ローズとの日常や若い愛人たちとの愛欲でさえ、すべてが芸術家の滋養であり作品素材であることに気づき慄然とした。
人間の奥底まで抉りだし歓喜や苦悩までも咀嚼し造形する。
そうでもしなければ、あれ程の作品など生まれては来ないのだろう。
それでも、ロダンとカミーユが日溜りに遊ぶ姿や、粘土を一心に二人の掌が追う姿に、自らの心が熱く燃え立つのは何故なのだろう。
芸術家という異界の人に触れる映画であった。一見の価値あるやに思う。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
【スタッフ後記】
ロッキー・ステップ! ここがあの場所なのだと、今回知りました。
展示物も著名な作品が多いということも合わせて知れて、訪れたいという欲がふつふつとわいてきました。
映画は2017年11月11日よりロードショー中です!