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能登の祝から(終)<事務所代表 森のfacebookより転載>

Date:2019/07/31

※事務所代表 森のfacebookより転

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室生犀星の『抒情小曲集』が記憶に残っている。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの・そして悲しくうたふもの・・」
有名な詩は学生時代に初めてふれた甘美な言葉への扉だった。
そして、萩原朔太郎の 純情小曲集「大渡橋」
「ここに長き橋の架したるは 
かのさびしき惣社の村より 直ちよくとして前橋の町に通ずるならん。 
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり・・」
上京して間もないころ、学生時代に魅せられたこの詩集を手に、雪が降る前橋の大渡橋を渡った。

室生犀星記念館の前に立った。
還暦を幾つかすぎて、再び犀星へたどりついたようだ。

暫くすると、犀星の詩は大人への階段を上り始めた青年にとって、優しすぎて居心地が悪く感じはじめ、朔太郎からシュールレアリスムの詩人たちへ視線は移り、いつしか詩人たちは都会の喧騒に消えていった。
少年から青年というさなぎの時期、大人への過程に寄り添う太宰治と同じように、室生犀星も透明な心に寄り添う詩人である。だがそれは、若く背伸する大人には少し面映ゆい心象風景でもあった。
時代をひと巡りした私には、今その時代がとても懐かしい。

室生犀星記念館から犀川に向かう。小道に名も知らぬ花が咲き、古びた石段が苔むして時を抱えている。
犀川大橋から川を望めば、川面は凪ぎ人影もない。
犀星記念館の案内にあった神明神社に向かう。
鳥居の奥に樹齢千年の大欅がある。幼少の頃の中原中也が、この大楠の境内で軽業師の演技を見た。後年、その感動を詩集「山羊の歌・サーカス」に詩ったという。
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
私の心に今もとどまっている。

旅の縁は続き、来月早々山口市の次男夫婦の赴任先へ立ち寄り、中原中也記念館を訪れる。そして、中也に出逢った17歳の時と同じように、日本海沿いに萩から出雲、松江にいたる山陰を約半世紀ぶりにたどることにしている。

ともに金沢を歩いていただいたUさんに感謝申し上げる。

 

室生犀星記念館

神明神社

 

 

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<スタッフ後記>

ゆがんだ鉄柵、さび付いた鉄パイプ、苔むした石に、神社の鳥居……ひとつひとつがノスタルジックで、とても素敵です。

ここへは訪れたことが無いのに、懐かしい気持ちがします。