ゴーギャン・楽園の旅
※事務所代表 森のfacebookより転載
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3月26日
ポール・ゴーギャン 映画「タヒチ・楽園の旅」
昨年「ゴッホとゴーギャン展」を参観し、二人の画家の対象を見る視点と感性の違いが際立ち、対立する事によりそれぞれの個性が輝き感激した。桜が咲き花々が溢れだす季節を前にして、今年初めに視聴した映画を振り返った。
昨年の展示会まではゴーギャンという画家をあまり意識してはいなかった。独特の色使いが少し濁っているように感じていたのだった。いや、正面から見ていなかったというべきだろう。
かなり昔になるが、ゴッホやセザンヌなどの印象派に憧れてプロバンスを訪れたことがある。その頃の感覚が、ゴーギャンの湿り気を帯びた空気と会わなかった。乾いた空気と光あふれるプロバンスの大地に目を奪われた当時の私には、南国の深い緑と赤い台地が疎ましくさえ感じられた。
だが昨年の展示会では、汗ばむような赤い台地と命溢れる木々と褐色の肌がとても懐かしく感じた。
若いエネルギーに満ちた時代から晩秋に向かう心の渇きに、ゴーギャンが掬い上げる命の潤いは心地よかったのかもしれない。
手垢が染みついたパリでの生活に別れを告げるべく奔走するが、周囲は冷やかしと冷淡さをもってゴーギャンを迎える。家族でさえ夢想の楽園など信じはしない。腐臭漂う酒場での送別は、今を生きる仲間たちの惜別の狂騒のから騒ぎに変わって行った。
一人タヒチに渡ったゴーギャンは、迎えた自然が画家の心を洗い流していく。そして、自然と寄り添いながら生きる人々の美しさに引かれていく。
だが、画家は自然と共に生きては行けなかった。画家はパリの価値観と夢を捨てきれなかったのだ。
ゴーギャンの心に広がったタヒチの自然と人々の姿は、作品に姿を変えてパリに帰っていった。
この映画は、タヒチの自然と人々の澄み切った瞳がゴーギャンの作品と共鳴しているようにも感じた。
そして、スコール後の空が青々として高かった。心に残る映画であった。
先週だが、三菱一号館美術館「ルドン-秘密の花園」を参観した折、ゴーギャンの送別のから騒ぎに、ルドンも参加していたという。さらには、ルドンの作品のすばらしさに陶然したことを付して起きたい。
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【スタッフ後記】
素晴らしい作品でも、受け手である自分の心持ちによって感じ方は変わってしまうということでしょう。
歳を重ねることで見えてくるものは、現時点で願っても見えてくるわけではないですが、
早く、若いうちに知りたいと思ってしまいます。