「セピア色のヨーロッパ・4」
※事務所代表 森のfacebookより転載
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「セピア色のヨーロッパ・4」
翌日はちょうど日曜日だった。コーディネーターの推薦もあり早朝からラストロ(蚤の市)へ向かった。
注意点は物乞いの子供らも多く、絶対に施しはするな、であった。
尊厳の問題というより、治安上取集がつかなくなる。ともかく、鞄を抱えて逃げろだった。
ようやく振り切って、長く続く露店を眺め、店主の明るい顔を懐かしく感じていた。
壊れた椅子から曲がったナイフに至るまで、ありとあらゆる雑貨もしくはゴミと見まがう商品が並んでいる。
はたして購入者がいるのか疑問だらけであった。そして、このラストロが何世紀も続いてきたなど信じられるはずもない。
店主に壊れた時計を指さして値切っているのか、観光客らしき親父がパイプを振り回していた。
見ていてようやく気がつた。お祭りなのだ。買うのではなく値切を楽しんでいる。
延々と続く露天の片隅でハモン(生ハム)を挟んだバケットをかじりながら初めてのスペインの日常を、その匂いを楽しんだ。
午後、ゲルニカ以外ほとんどまともに見ていないプラド美術館を再訪した。
まず、足を止めたのがベラスケス・「ラス・メニーナス」(女官たち)である。
マルゲリータ王女を中心とした大きな一室に私自身が入り込んでいるような錯覚に陥り、女官たちのひそひそ話が聞こえてくるようだ。
見る者をも取り込むカンバスが異様に大きく感じた。そして、エル・グレコだった。
それまで、宗教画などほとんど興味もなく歴史の一部として眺めていた。その絵の前に来るまでは。
エル・グレコ「イエスの復活」の前に立った時、全てが天に昇る姿に胸が苦しくなる感覚に襲われた
。
天へ昇るイエスを人々が追い求めもがき苦しむ姿と、何者にも拘束されない解き放たれた真っ白なイエスがカンバスの中で浮き上がって見える。
イエスの背景の赤と手を伸ばしイエスを求める男の透明なブルーが印象をさらに深くしていた。
エル・グレコと後日再会するのをこの時はまだ知らなかった。閉館するまで終日プラドを彷徨っていた。
この日が、マドリッド最後の夕食であった。
スペイン料理とフラメンコを堪能できるというレストランを予約していた。
パイエリアをはじめ食べきれないほどの料理を広げられ茫然としたことを思い出す。
スペインの夜は遅い。夕方から始まった食事は、若い踊り子たちがおおよそ引けたころ終わった。
大人の貫禄と歴史を刻んだ女性の踊りに変わるとステージが一気に深みを増し、男性の心に響くカンテの歌声と踊り子のスカートの裾が燃え上がる。情熱の国スペインと呼ばれる所以をかみしめた夜であった。
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【スタッフ後記】
すっかりシリーズとして定着した「セピア色のヨーロッパ」
編集している私自身も読者の皆様と同じように、毎回様々な気付きを体験しています。
日本と外国の文化や宗教観の違いは、一度現地で体感してみるべきことなのだと思います。